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2019/09/11
平成が終わる6

平成初期は音楽業界にとってまさにバブリーだった。
Wミリオンという信じられない数字をたたき出せたのもこの時代。
タイアップをとればなんでも売れた時代でもある。

そんな中、TKファミリーなるものが出てきて音楽の価値観が変わった。
歌詞というよりもメロディーを重視されるようになったのもこの頃から。
さらにMr.チルドレンがバンドの概念を大きく変え、世の中には偽桜井さんが溢れた。

僕らはその恩恵を受け、、、れない、、、微妙な世代だった。

僕らがデビューするころ、世の中は8cmシングルCDは廃止され、これからは配信の時代だと言われていた。
この先、音楽業界はどうなっていくのか。
そんな浮遊感の中、僕らはデビューした。

「チャンスはそこだ!!」。
怖いもんなんてなんもねーー。
平成15年。今から思うと平成の折り返しの頃。
僕らはそんな頃にデビューをした。
 
2019/09/10
平成が終わる5
 
姫路で一年間でワンマンライブがソールドアウトした。
自分で言うのもあれだけど当時の姫路の街からしたら伝説的な出来事だった。
聞こえはいいが、ただの大学生が地元のスターになっていくわけで、これはこれで大変だった。
街を歩くとだんだんと声をかけられるようになった。
はじめは嬉しかったが、徐々に自分が好奇の目にさらされているようで、どこにいても見られているような気がして浮かれるようなものではなくなった。
狭い街なので家などもすぐにバレる。
どっかの店に入ってもヒソヒソ話をされる。
そして当時のメンバーの彼女たちはとても困惑していた。

今までずっと普通にしてきたことが突然彼氏から離れて歩いてくれ。
姫路の街では会わないようにしょう、などと冷たい言葉をぶつけられるのだ。
あまりに切れた当時の清正くんの彼女が階段からドロップキックをしていたのを思い出す。

この辺りから僕らは恋愛よりもバンドに比重を起き出した。
僕らの平成は間違いなくバンドにあった。
 
2019/09/09
平成が終わる4
僕の平成は間違いなくTHE NEUTRALに捧げたと思う。
バンドをやって、初めて自分で自分を誇れた。
やればやるほど結果が出た。
自分が思い描けばその通りに未来が進んだ。
その代わり人知れず何度も感情を出し入れした。
それでもそれを超える喜びがいつも目の前になった。
結果、僕はバンドに夢中になり今に至る。
僕の平成は間違いなくTHE NEUTRALに捧げたと思う。
 
2019/09/08
平成が終わる3
 
中学3年生の時、僕は何を思ったのか勉強するのをやめた。
理由はいくつかあるが、親友がカナダに留学することになり、彼も勉強するのをやめた、という他人任せな理由が1番だったと思う。
その前から僕らはバドワーザーのミニ缶を飲みながら登校するといったアウトローな学生だったが、勉強を放棄、義務教育を放棄してからアホさが加速した。

パチンコ行ってみようぜ!と親友が言い出した。
ナイスファイト!よく分からないが当時僕らの中で流行っていた言葉。
中学生やけどパチンコ行く、ナイスファイト!なのだ。
ちなみに僕らは不良になりたいわけではなかった。
おもろいかおもろくないか、それだけだった。

パチンコ屋に正面から堂々侵入。
一応、礼儀をとして変装の帽子を被りいざ勝負。
当時は空前の相撲ブーム。
綱取り物語というパチンコ台に中学生が3人横並びに座りLET’S PLAY!
500円も使い切らないところで店員@強面参上。
「お前ら中学生やろ?これ打ったらもう帰れ!」
すぐに追い出さない時代、平成。
余白がある時代、平成。

開始10分も経たず追い出されるも、あのままやってたら当たってたな、あのままやったらナイスファイトやったな、あの店員ごっつキモっ、あの店員誇った顔してたで、などとへらず口を叩き家路を辿る。
懲りずに翌日、再来店。
次の日行くってナイスファイトやな、とヘラヘラと行くも、警察&親を呼ぶと脅され渋々帰宅。

こんなことが許されていたゆるい時代。
それが平成。
いや、これは俺たちがおかしかっただけか。。。
 
2019/09/07
平成が終わる2
 
昭和天皇が崩御され、平成という時代は無理やり幕を開けた。
だが、なぜだか平成という言葉に僕らは未来を感じていた。
おそらく令和よりももっと強く。

Jリーグが開幕した。
サッカー好き=キャプテン翼の方程式が崩れた。
いけてる奴はこぞってサッカー部へ。
今まで一番人気だった野球部はなんかダサいの方向へ。

ファミコンはスーパーファミコンへ。
お立ち台に立って扇子をぶん回すというコントのようなものが六本木あたりで流行り、シースー、パイオツカイデーのチャンネーなどといった暗号まで流行った。

こうやって書いても平成は浮かれていた。
間違いなく浮かれていたと思う。
 
2019/09/06
「平成が終わる」1
 
「平成が終わる」というタイトルで新曲を書いたが、やはり僕としては昭和を語りたくなる。
平成の始まりはまだ昭和の匂いを確実に引っ張っていた。
昭和の親父たちが牽引した時代。
パワハラセクハラ当たり前。
議員が選挙カーでお触りしたり、国の金で海外ギャンブルに明け暮れたり。
親父は子供がいようがなんであろうがどこでもタバコを吸う。
ベランダで吸うような奴は稼ぎが少ない証拠、などと訳の分からぬことを言い、妻をシュードラのように扱うネロ状態。
父親は絶対的に怖い存在であり、父親の機嫌一つで家族のスケジュールが左右される。
そんな時代、昭和。

テレビでは差別的な言葉が流れ、バカ殿では女性の裸が見れて、芸能人水泳大会ではセクシー女優がこっそり参加し必ずポロリがある。深夜放送ではほぼAVが流れ、子供達は自分の部屋にテレビが付けれる日を将来の夢に据えて日々を過ごした。

公園ではG(ジャイアンツ)かHとTがかぶさった(アユみたいな感じ)タイガースの帽子を被った子供達で溢れ、サッカーボールを持ってきても全然キックベースという無理くり野球ルールにはめられるのがオチだった時代。昭和。

やたらと叫ぶおっさん、女の子にやたら声かけるおっさん、パジャマでウロウロするおっさんが町中に溢れ職質もされなかった時代、昭和。

しょんべんしたくなったらどこでも立ちションしていた昭和。

父親は無口、母は我慢、の昭和。

こうやって書くとろくなことネーェが、ルールが曖昧だった時代。
だからこそそのルールは倫理観や、行間を読み取ることを重要視されていた。
誰も教えてくれない、感じ取れ、という時代だったように思う。

それがいいとは思わないが、今は丁寧すぎるとも思う。
もう一度も戻りたいかと聞かれれば、警察の制止を振り切って指名手配になっても逃げ出したいが、
もう一度のぞいてみたいとは思う。

そして平成を僕らは迎えた。
 
2019/09/05
no subject
 
これを書いている今現在、しんじらんねぇくらい腰が痛い。
シンジラレナーイってやつやな。
セカンドベースを投げ飛ばしたいくらい腰が痛い。

物でも40年も使えばガタがくる。
腰なんてどれくらい使ってねんって話や。
変な意味じゃなくて。
シンジラレナーイ。

一度神の手のお世話にもなったが、、、僕には紙の手くらいだった。

ただライブの時に痛かったと言うことは今までない。
アドレナリンってやつだ。
アドレナリンは花粉症さえも抑える。
逆にライブ前はアドレナリンが出すぎてご飯が食べれないと行った弊害もある。

そんなこんなで今現在、しんじらんねぇくらい腰が痛い。
ベースを砂で隠したくなるほど腰が痛い。
 
2019/09/04
「one for all all for one」
ラグビーには「one for all all for one」という言葉がある。
一人はみんなのために、みんなは一人のために。
ラグビー部出身だからか、僕はこの精神が体に染み付いているように思う。

音楽が好きで始めたバンドだったが、いつの頃からか、メンバーのために、ファンのためにと思うようになっていた。
「〜の為に」とよく言うが、ニンベンをつけると「偽り」という字になるなんて言う屁理屈やろうがいるがうるせぇとアイアンクローをかませれたらどれだけ世の中は過ごしやすくなるだろうか。

話が逸れた。
僕の人生はこの歳になってまだバンドのためにですべての物事が決まっている。
我ながらそのことに驚嘆と賞賛と少しの冷や汗を覚えている。
 
2019/09/03
説明書を
 
僕は子供の頃から説明書をみないタイプだった。
プラモもゲームも。
何も見ないで己の直感を信じてやる。
こどもチャレンジだ。
そして僕は例外なくその直感が強引すぎて新品の物を壊す。
その度に兄貴に「なんで説明書見ずにやるねん考えられん」と呆れられていた。

それは大人になった今も変わらない。
僕は見ない。
説明書を見ない。
見てもいい加減に見る。
なので今だに届いたその日に壊す、壊しそうになる。

こればかりは自分でも直したいが、直せられない。
本を読むのが活字が好きなのだが、説明されるのだけは嫌なようだ。
厄介な脳みそだと思う。

 
2019/09/02
しげるデモ
 
メンバーに新曲を渡す時のパターンがいくつかある。
1.直接スタジオで歌う。
2. 自分でPCにエレキと歌で録音し、送る。
3.めんどくせーからiphoneでとってそのまま送る
4.割と作り込んで送る

今回のアルバムは「自分でPCにエレキと歌で録音し送る」がほとんどだった。
メロディとラララだけ歌ってそれを送る。
深夜にやることが多いので1オクターブ下で歌ったものを。
人前に出るものでもないのでニュアンスが伝わり、伝えにくい部分はメールに言葉を添えてメンバーに送る。

それでよかった。
よかったのだ。

だが今回ハイエース基金のお返しにそのデモをお渡しする、というのがある。
まじか。。。
好きなタレントのスッピンをみるってことやで。
大丈夫かしら。

そのことが数日前から気になって仕方がない。。。
 
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