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2007/09/13
詩「風の起こし方」
今日、久しぶりに自転車に乗りました

借り物の自転車でフーーンと

ブーーンでもシャーンでもなく フーーンと

すると僕の頬に風が当たりました

僕は久しぶりに風を感じました

台風やビル風のような与えられる風ではなく 

僕が動いたからこそ巻き起きた風

久しぶりに僕は自分で風を起こし 風を感じました

やっぱり動いたら風は起きるようです

 
2007/09/12
厳しく生きねば
僕は今、歌詞の制作に取り組んでいます。
決められた期日までのタイトなスケジュールの中。

今日までの毎日。
僕は僕なりに一生懸命やってきたのですが、このギリギリの感じ。
「今日はリラックスしよう」と息抜きした日もあった。
やはり怠慢であったと言わざるを得ないのかな。
時には休まなきゃ。
時には歩みを止めなきゃ。
僕はそんな言葉に横たわっていたのかもしれない。

どれほどどれほどやっても必ず後悔は残る。
それほど日々燃焼していくのは難しい。
「時には休んでみよう。」
この言葉はそうそう使っちゃいけないのかもしれない。

甘やかす言葉にばかり耳を貸さず、もっと厳しく生きなくては。
少なくても今の僕にはそれが必要なのだろう。
さぁ、今日ももう少しがんばろう。
そう、頑張ろうという言葉を毛嫌いせず、誰の為でもない、僕は僕自身の意志で頑張るのだ。
 
2007/09/06
僕の歌詞の書き方
よくみんなに驚かれるのですが、僕は歌詞を書く時にパソコンを使います。
今時な方法だと思われがちなのですが、実のところ、今日までに数十曲書いてきましたが、僕は紙に手書きで歌詞を書いたのは5曲も無いほど。
ほとんどの曲がパソコンで書きます。

「手書きの方が魂がこもる」「パソコンだと味気ないのでは?」という意見もありますが、僕は関係ないと断言しておきます。むしろ、僕の場合はパソコンの方が良い歌詞が書けます。
手書きだとどうしても客観性に乏しくなりますが、パソコンで書くとその文字の羅列具合でアイデアが浮かびます。
そもそも、僕の歌詞の書き方は変わっており、物語のように進んでいくものが多いので、僕はよく仮イメージ歌詞を書くのです。例えば「君と出会えた喜びを 今噛み締めている」というイメージ歌詞をひとまず書いておき、後日「木曜日の雨の日を 僕はいつまでも忘れない」という具合に書き換えるのです。
まぁ、この書き方は独特なので、仮歌詞の段階では人に見せられないのですが、僕は割と革命的な方法だと思うし、僕しかやっていないような気がしているので、いつの日か本に出来れば(笑)。

そんなこんなで僕は今歌詞を書いています。
いつも通り、難しすぎない言葉を使って、簡単な表現にならないよう。
みんなの心に届きますように。
 
2007/09/04
自然な距離感で接する勇気
先日、山梨県で感じた事。

レコーディングスタジオの所有者の娘さんが何度かスタジオに遊びにきてくれた。
ダイちゃんの日記にも書いてあった沙羅ちゃんという高校3年生の女の子。
沙羅ちゃんは、屈託の無い笑顔で僕らと接してくれる。
そこには何も計算が無く、無意味なまっすぐさでもなく、ただただ自然に大人の流れの中に身を置いているのに驚いた。

僕の18歳の時はどうだったろうか?
大人が嫌いでもあった。
そのくせ大人に好かれる術を知っており、腹に何かを据えたまま、時には顔色をうかがい接していたように思う。
今でも人と接する時は緊張する。
どうでもいい人でさえ好かれようとする。
悪く思われないか気にしすぎる時がある。
深く接するとややこしくなるのかなと踏み込むのを躊躇する時がある。

沙羅ちゃんはまだ18歳。
この先色んな事が彼女を待っているだろう。
恋に夢に。
その度にきっと彼女は傷ついていくだろう。
それでも今の笑顔のままでいれるだろうか?
それでも今と変わらない距離感で人と接する事が出来るのだろうか?

考えていたら、僕もつまらない大人になったもんだなぁと思えてきた。

南アルプスの見える空気の美味しいところに住む沙羅ちゃん。
でも、彼女の透き通るような人柄はきっと山梨という土地が生んだ、ってだけではないのだろう。
なによりも沙羅ちゃん自身がそういう人であり続けているからなのだと思う。

東京にいるから。
歳を重ねたから。
傷ついたから。
そんな事を言い訳にしないで、僕も傷つく事を恐れず、和紙に水が吸い込まれていくように自然に人と接していきたいものだ。

人が人から何かを学ぶ時は年齢は関係ないようだ。
 
2007/09/02
THE 日記「途中経過」
一昨日の川崎、昨日の水戸と、集まってくれた皆さん本当にありがとう。
レコーディングの合間を縫ってのライブ。
間違いなくあそこで僕らはパワーをもらっています。
いつもいつもありがとう。

さて、有線のリクエスト、ついに「ともだち」72位まで上がってきたみたいですね!演歌も含めての72位なので、Jpopチャートだともっと上という事になりますね!僕らより上で演歌以外の人ってほぼ全員名前言えるようなアーティストばかりです。
すごい快挙です!!
本当に皆さんのおかげです。
ありがとう!!

生きてきて、このメンバーと出会えて、音楽を選び、みんなと出会えて良かった。
逃げないよ。
立ち向かっていくよ。
笑いたいやつは笑え。
本気で狙うぞ。
 
2007/09/01
時のバトン
輪廻転生は人間の作った概念。
そんな事を今日、代谷と話していた。

死んだらどうなるんだろう?
生まれ変わるのか?

僕は当たり前に「死んだら、はいそれまで」だと思う。
意識は肉体が「死」を迎えた時に終わるのだろう。
その「死」は、哀しい事に「生」を受けた瞬間からすぐ隣にあるものだ。

でも、ここで僕は新たな事に気が付いた。
生まれ変わったり、輪廻というのはいささか飲み込みにくいが、「僕」と言うモノはこの先ずっと続いていくのだろうな、と。
つまり、DNAである。
僕には親のDNAが、その前には祖父のDNAが含まれている。
人の性格が決まるのは50%がDNAで後は環境だったり、という話を聞いた事がある。
それならば親もきっと僕の分身であり(当然、僕が親の分身というのですが)、僕が生まれる前の祖父も僕の匂いをもった人だったのだろう。
そうなると僕はもうずーっと長い間、この時間を泳いできたような気がする。

僕は今に始まったのではない。
僕はずっと生きているのだ。

いつの日か僕に子供が出来たら、きっと僕はまた続いていくのだろう。
それこそが繁殖の基本となっているのも頷ける。
僕は僕のまま。
誰かや何かの生まれ変わりではない。
僕は過去の僕のバトンを受け継いだ僕なのである。


追記、輪廻を否定している訳ではないのであしからず。ちなみに僕の曾祖父はお坊さんでした。
 
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