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2019/01/11
大人が偉かった時代
一年に一度は映画館で映画を見るようにしている。
NO!MORE映画泥棒の印象が強いがその前のマナーについての映像が流れるたび、僕は日本はいい国になったなぁと感じる。

小学生の頃、激アツ映画はドラえもんの大長編だった。
サンバイザー的なものを劇場で配られて、ラミネート丸出しの下敷きをお母さんに買ってもらいいざ席へ。ウキウキ気分で座ると、後ろのおっさんが靴を脱いで足をおいらの背もたれにVの字であげている。ってことがざらにあった。
見終わった後、兄貴と「今日の後ろのおっさんの足めっちゃ臭かったわー」とか「今日はあまり臭くなかったなぁ」と話し合うくらい、足を上げるというのは普通だった。
もう覚えていないがひょっとしたらタバコもOKだったのかもしれない。
そう思うとおいらの生きた昭和の日本は民度が低かったのだと思い知らされる。

大人が圧倒的に偉かった時代。
子供は我慢が当たり前。
歯向かえば「じゃかましい!」と他人の子供でも一括された時代。
「お前らもはよ大人になったらええねん!」と教師に言われたこともある。
乱暴で愛情の表現も下手くそだった時代。
しかしそれがそんなに悪くなかったのではないかと思うのはなぜだろう。
懐古主義なのか。

今は子供ファースト。
公園で遊ぶガキもいなくなった。
そんなガキどもが大きくなって聴く音楽は、その概念は。
考えると気が滅入るのでやめておこう。

基本製造は同じ。
恋と夢と挫折と希望の繰り返しのはず。
それがずれない限りは歌はあるのだろう。
 
2019/01/10
パタゴニアのパーカー
デビューした時に事務所&レコード会社の人に「デビューCDはパタゴニアのパーカーで映りたい!」と駄々をこねた。
というのも、姫路にいた頃、おしゃれなヨウゾウの兄ちゃんが着ていたのがパタゴニアの赤のパーカーでこれがめちゃくちゃ眩しく見えていたのだ。
たまにヨウゾウに借りて僕は意気揚々と大学に着て行っていたのを思い出す。
大学生にしてパタゴニアはとても高かった。
憧れのパーカーであり、どのアウトドアのメーカーよりも僕はパタゴニアが大好きだった。

僕にはスタイリストはいらないと言うくせに、パタゴニアのパーカーは用意してもらう。生意気だ。しばきたい。
ちなみにスタイリストが用意する洋服はすべて基本的にレンタルだ。
スタイリストさんが洋服屋さんから借りてきてくれるのだ。
それを知っていた僕は撮影当日、わざと寝っ転がるショットを多めに取ってもらい、汚しまくって「あぁ、これ買取しないとですねー」とレコード会社の経費で買い取ってもらい、それを私物にするという横領をやってのけた。
生意気だ。しばきたい。

そんなこんなでデビュージャケットは念願の赤のパタゴニアで写っており、思春期に影響を受けたものはなんとやらで、未だに僕の中でパタゴニアは特別なメーカーとして心に刻まれている。

今年は新しいものを買おうかしら。
 
2019/01/09
スタイリストはつけない
デビューしてからの僕は常に何かと戦っていた気がする。
「大人の言うことは聞いちゃダメだ、あいつらは最後まで責任を取らねーから、最後に責任を背負うのは全部バンドだから」
僕にこのようなデビューしてからのバンドの心構えを教えてくれたのが、2月2日に一緒にライブをするハイパービームの俵良次さんだった。
多少ゆがんだ教育ではあるが、なかなかどうして今になってこの教えはとても大切だったことを知る。

デビューした時についたスタイリストは当時メンズノンノでばりばり活躍している方だったが、レコード会社の人に「僕にはつけなくていいです」と伝えた。
くっそ生意気だったけど、自分のおしゃれに自信があるとかではなく、ロックバンドとして人の手が加えられた感が出ることのカッコ悪さが気になって仕方なかったのだ。
流行りを取り入れてしまうと、数年後必ず恥ずかしいものになる。
だがTシャツに黒パンといった不変であり続けると何年たっても色あせない。
そしてその意識こそが音楽につながると思っていたのだ。

あの頃の僕を思い返すと「お前生き苦しいだろ、そんな片意地張って、、、」と思うのだが、あいつがいてくれたから今も僕はこうして歌えているのだと思う。
若さとは体制に戦う力と義務がある、そんな風に40歳を超えた僕は今思う。
 
2019/01/08
頑張らないかっこよさ
「誰よりも目立と〜と♪ わけのわからぬ服着て〜♪」ゆず、シュビドゥバーの一節だが、大学生の時にこの歌を聴いて「この子らは売れるな」と思った。もう体育館ツアーとかしてたけど。
僕も例外ではなくおしゃれを追求しだしてスカートをはいたり下駄や足袋を履くというアバンギャルドな方向に走っていた。

大学の授業はテレビで見るような階段式の広い教室から、こじんまりしたところまでピンキリ。
そして席も決まっておらず、どこに座ってもいいのだ。
3年生の春、何気なくとった授業で隣の女の子が本読みを当てられた。
彼女は教科書を忘れたっぽくて、僕が貸してあげた。3流映画みたいな出来事だった。
それから少し話すようになり、私の友達を紹介するね!と大胆に僕の手を握って友達のところへ連れて行き、オサレな奴らを次々に紹介してくれた。
この子が○ ○君、この子が○ ○ちゃん、んで、この子がこの子が○ ○君で私の彼氏ー。
ふーーーんって、俺の手をつないだままやん!!!
大阪ってこうなのかーーー!?と異文化に驚いたのを覚えているが、大人になった今でもあの行為はだいぶイレギュラーで天真爛漫がはみ出していた女の子という以外理解ができない。
が、エロスはどこにもなく、なにか心地いいものであったのを覚えている。

話が逸れたが、その彼女、そこで紹介してもらった奴らがみんなイケてて驚いた。
いけているのだが頑張っていない。
地がおしゃれ感がえぐいのだ。
それに比べネメスに下駄というアシンメトリー的な服を着ている僕。
頑張りすぎててこっぱずしかった。
まだユニクロがそんなに市民権を得てない時代に「みてー、わたしらもうユニクロとか無印やねん。で、一点だけギャルソンとか着てるだけやん。こいつとか万年スウェットやし」と笑う彼女。
でもそのスウェット感が、そのゆるさがなんとも言えずかっこいいのだ。

早速僕もユニクロ無印に走る!走る!!走る!!!
だが、何を血迷ったか全身無印で統一してしまい地味な学生出来上がり。
田舎者の自分を恥ずかしく思ったが、あの女の子との出会いから僕は頑張らないことのかっこよさを覚えたのだった。

 
2019/01/07
Christopher Nemethのパンツ
高校生になる頃にはもう僕らのオシャレ速度は加速した。
特に3年生を迎え、部活を終えてからはおしゃれ以外目もくれず。いや、女子には少し目はくれた。
メンズノンノの最終ページにおしゃれ読者が載るってのがあったのだが、その撮影が神戸であるらしいと聞けば今ある服で一軍たちを揃えて参戦。
当時僕も何冊か雑誌に載った事があり、アメ村を歩いていて「すみません、写真撮って良いですか?」と言われる事がステイタスだった。
18歳の時、地元の雑誌「タウン播磨」に掲載された時も「姫路はお洒落な店ないな〜」と姫路の雑誌なのに姫路を批判するというA級戦犯の非国民的な発言をしている。
調子にのるとはこの時期を言うのだろう。

姫路と大阪の文化は明らかに違っていた。
僕が18歳の時、大阪ではファイバーズームという美容室が圧倒的な人気を誇り、Christopher Nemethのパンツを履くのがカッコよかった。
ちなみに僕はさらにDirk Bikkembergsのブーツを履き、大学生にも関わらずギャルソンのセーターを着て意気揚々と大学に通っていた。
Christopher Nemethに於いては接客がタメ口なのに腰を抜かした。
通常「いらっしゃいませ〜(せ〜から音が上に柔らかく伸びる感じ)何かお探しでしょうか?」と来るところ、ネメスは「いらっしゃい、なに?ズボン?この辺人気あるけどなぁ。なんか気になるのある?」というボーダレスフレンド接客なのだ。これをおしゃれな女の店員にやられるもんだから大学一年生の僕なんかはロンドンに来たような衝撃を受けたのだった。行った事ないけど。

とにもかくにも僕らはおしゃれにお金をつぎ込んだ。
おしゃれなじゃないやつは嫌いだった。
学校でも教室を見渡し、はい俺が一番おしゃれ!などと心で思っていた。
夜食を買いに出かけるだけでもわざわざ着替えていた。
おしゃれこそが正義、おしゃれこそが男、おしゃれこそが江口洋介だった。

そんな僕の人生観を変える出来事があった。
 
2019/01/06
BEAMSの袋
市民プールに行こうぜ!
いつものように唯我独尊のチャリに乗り僕らは手柄山に向かった。
更衣室で着替えているとヨウゾウがめちゃくちゃカッコいい袋に水着を入れていた。
なんじゃこれ?
こっそり見てみるとそこにはBEAMSと書かれてあった。

僕たち世代のおしゃれの入り口は間違いなく「BEAMS」だった。
フォーラスで服を買うのが一番おしゃれだった僕らにとって「BEAMS」は未知の領域。極楽浄土。
その「BEAMS」で服を買うとビニール製のナップサックになる袋に入れてくれるというではないか!?
当時の僕らはその「BEAMS」の袋がスーパーゼウスよりも価値があるように見えて欲しくて欲しくてたまらなかった。
ネットもない時代だったがどこから情報が入ってくるもの。
どうやら「BEAMS」は三ノ宮にあるらしい。
姫路から神戸の三ノ宮までは970円。往復で1940円。中学生の感覚でいえば海外旅行だ。
セールの頃を狙ってTシャツを一枚だけ買う。そしてあのナップサックに入れてもらう。
お年玉が入った時にはナップサックがたくさん欲しいために、わざと2回3回に分けて買い物。
気の利きすぎた店員が「一緒に入れましょうか?」とトンチンカンな助言をくれる。
が、「ともだちにあげるから」と断り、何枚もいただく。
それを塾に、夏のプールに、体操服入れにととにかく人目に着く場所に持っていく。
ヨウゾウがプールにビームスの袋を持ってきてから、確実に僕らの価値観が変わった。
文明開化の音がして僕らはちょんまげを切り刀を納めた。

当然、唯我独尊なんて書いてるチャリへの熱が急激に冷め、なんでこんなやつ好きになってたんだろうとロクでもない相手と別れた時のような目で唯我独尊号を眺め、僕らはしれっと一文字バーのチャリへとシフトチェンジしていった。

そしてついに僕らは大阪という神々が謳歌している聖域に足を踏み入れるのであった。
 
2019/01/05
カマキリ自転車
中学生になると6段切り替えを乗ってるやつはダサいと呼ばれるようになった。
代等してきたのがカマキリ自転車と呼ばれるハンドルがU字になっているやつだ。
こいつを改造していくのだが、やらなくてもいいのに改造していくのだが、ネットもない時代なのに共通の改造をしていくのだが、まずはハンドルを45度前に倒す。次にグリップの下にあるブレーキを上に上げる、荷台の座るとこをの後ろをバットでくいっとあげてやる。
今思うとこれらは族車のイメージなのだ。
バイクに乗れない中坊がなんとか自分の愛車をバイクっぽく見せたいと思った故のアイデアだったのだ。
この時代を生きていない人、まっとうな学生時代を歩んできた人に想像しがたいだろうが、要は深夜2時に上下同じ色のスウェットで買い物に来ている金髪をイメージしてほしい、そんな感じ。どんな感じ?

そのチャリにさらにカッティングシートと呼ばれる、いわゆるシールの元となるようなものを漫画家が使うようなペン上のカッターで自分で好きな文字を切り抜き張り張り。
「天上天下唯我独尊」が大人気。
姫路の町「天上天下唯我独尊」。
みんな仏教大好き?
本来の意味もわからず、俺が一番偉いんじゃーと主張していた。
このころの姫路の中学生はみんな自分が一番偉いと信じ込んだわがまま野郎ばっかだったということになる。このブームはある日、急に終わりを告げる。
なぜかって?
「ダサい」ということに気がつくからだ。

中学3年になると僕らはおしゃれに目が覚め始める。
 
2019/01/04
幽霊自転車
小学生の頃、6段切り替えの自転車が流行った。
どいつもこいつも坂道のほとんどない姫路の街をガチャガチャとギアを切り替えて走りまくっていた。
立ち漕ぎ必須、ベル乱用、ブレーキかけながら90度に曲がり砂埃を立てて止まる。
カゴはもちろん折りたたみ式のサイドバスケット。
30円のポリジュースをケツから噛み、両手放しで巡回。

集まった運動場は暴走族の集会のようなもの。
暴走族集会といえば「チキンレース」だ。
己の読経を試し、壁ギリギリでブレーキをかける。
ただ俺たちのルールは少し違っていた。
俺たちので流行っていたのは「幽霊自転車」だ。

勢いよくチャリを漕いで最後はチャリを軌道に乗せたまま自分は飛び降りる。
するとチャリは人がいないのにそのまま進み出す。
これで誰がどこまで幽霊自転車を走らせるかを競うのだ。
俺が親なら「せっかく買ってあげたやつをなんちゅう使い方してんねん!」とよそのガキもろともコンプライアンスもろともしばきあげる案件だが、当時はガキを叱りながらタバコを吸うというダウンタウンな風習だっただけに、寛大だった。
だから俺たちのチャリはみんなボロボロだった。
それがまたカッコよかった。

このようにかっこいいの基準は自分が属しているグループによって違うのだ。
人が指図することはできない。
ただその信じているものも黒船来襲文明開化の音がした!ちゅーくらい変わることもあるのだ。

追記、新春から続けようと思った日記、はやくも途切れたが、今日2つあげるとチャラになるらしいよ。
 
2019/01/03
 作詞日本代表
僕は自分の書く歌詞に自信を持っている。
しかし良い歌詞の線引きはプロでも難しい。
素人なんてさらに分かるはずもない。
が、届けるべきところは素人、そこを無視して成り立たない。

良い詩をいってもそこには様々なジャンルがある。
大食いと早食いは違うように。

まず書くスピードもジャンルの一つ。
そしてワードセンス。
物語の構成。
日本語の使い方。
てにをはの外し方。
哲学。
大衆性。
オリジナリティ。

これら、すべてを網羅するのは難しいが、どれか特化しているとそれは良い歌詞を書く人と呼ばれる。

さて本題、「僕は自分の書く歌詞に自信を持っている」だが、時折こう考える。
明日、日本が宇宙人に征服される。
しかし彼らは日本の文化に興味を持っていて彼らを納得させられたら難を逃れられる。
日本で良い歌詞を書く人を集めてくれ。
ということで政府が話し合いをするとしたら、間違いなく僕のところに話がくるだろう。
少なくとも日本で選ぶ10人前後のあたりで連絡がくると思う。
そのレベルだと思う。

こんな幼稚な文を書いてるやつが、、、と思うかもしれないがそうなのだからしかたがない。
書き手も読み手もセンスとレベルが必要なのだ。

さぁ今年も作品を残そう。

 
2019/01/02
ハレの日
カウントダウンを終えて、サイン会のときに「2018年はどうでしたか?」と気まぐれに聞いてみたところ7割の人があまり良くないと答えていた。
みんな仕事やプライベートで悩んでいるようだ。
その中には詐欺にあった、というのもあったり。
人生いろいろだ。

民俗学で日常は「ケガレの日」、非日常は「ハレの日」という。
ゼミの先生は持論で「祭りは当時の人々が自ら作り出すハレの日だったのではないか」と言っていたのを思い出し、今頃強く感心する。

なぜなら僕も日常ではケガレの日々を這いつくばって生きている。
ライブという「ハレの日」を企画し、それぞれのケガレは持ち込まず、シンプルにハレの日に弾ける。
ライブはだからこそ楽しいのであり、逆を言えば僕も君もメンバーもみんな自分の人生と戦っているってことになる。

今年もたくさん「ハレの日」を企画しようと思った。
 
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