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2019/04/20
辞めてもいいよー
 
何度もいうが俺はもはや音楽業界に興味はない。
音楽が特別素晴らしいとも思わないし、俺のすべてでなくてもいいとは思っている。
一人でやっているのであれば辞めてもいいかーとも思うかもしれない。

ただどうしたって俺を語る上で音楽は切り離せないものであり、仲間とやっているものであり、ファンがいる。
辞めてもいいけど、ならばやるかと思っている。

前以上に誰にも媚びるつもりはないし、俺が作品を残すということはすごいことなんだ。
うだうだ言われるくらいなら辞めてやるという気持ちが何処かにある。
前にも書いたけど、これが俺の心の余裕となり結局歌いたいの方向にベクトルが向くから不思議だ。

一つ言えるのは、俺の歌だけ聴いてても音楽には事足りるって。
って書くとまた嫌われるのだろうな。
でも本当なんやけどな。
天才の作品を触れれることを誇りに思ってくれっておもうんやけどな。。。
 
2019/04/19
スポロン
我が家では風邪をひくと母が必ずスポロンを買ってきた。
なぜかは知らないけれど、風邪の時しか買ってくれない。
このスポロンが全然量が入っていないのだが、うまいのだ。
うまいけど量がない。
しかし、量が足りないと感じる頃は風邪が治りかけている証拠。
風邪絶好調、、、絶不調?の時は味なんて感じる暇もありませんもの。
布団で一日中寝て、ふと起きた時に母親がそばにいるときの嬉しさ。
なんども寝たふりを繰り返していたことを思い出す。

東京に来てからは風邪をひこうがなんであろうが一人でコンビニに行って生きるためのものを買う。
途中で嘔吐したこともあったが這いつくばって買い出しにいってたっけ。

ま、言いたいのはだな。
スポロン飲みたってことだ。
 
2019/04/18
思い出せない一日
 
シンプルに4月18日にあったことを書こうとしているのだが、まったく18日という1日が思い出せない。
そう思うと365日で思い出せる日ってのはいかに貴重なことかがよくわかる。
4月18日はきっと日常を生きていたのだろう。
ライブのような非日常は忘れない。
そう思うと僕らのやっていることはとても意味のあることだと気づく。
 
2019/04/17
今はまだ長い旅路の途中
 
恵比寿のライブ、その光景を瞼に留めていた。
渋谷O-EASTで見ていた光景と同じように見えた。
強がりでも、ひよったわけでもなく、場所の問題ではなく、あの頃と同じ思いでステージに上がっている僕らと、あの頃と同じようにライブに来ている君がいて、それはなんら変わっていないことに感動を覚えていた。

努力が報われるのか。
この先に未来があるのか。
ニュートラルの50歳が想像できないと言われたのが今だに腹の底に沸騰したまま残っていている。
50歳どころではない。
俺たちはこれを死ぬまでやって、そして死ぬ時にこの道がどうだったか分かるのだ。
今はまだ道の途中。
この道は、人から見たら勝っていた時期もあるのだろう。
ではそこでやめていたら勝ち逃げか?
いやなぜだかそれも負けになる。
今辞めると負けなのか、選んだ道次第では勝ちにもある。
つまりまだ道半ばなのだ。
死ぬまでにどこかで評価される時を待っている。
なぜならば俺は日本が誇るべき天才であって、そのれの仲間は最高だからだ。
俺たちよりもかっちょいー奴らもいるだろう。
それでも日本において下位ランクのバンドではない。
いつか俺たちの日々が日の目を浴びる。そう今でも信じている。
できれば俺の才能が枯れる前にその時が来てほしいが。

今はまだ長い旅路の途中。
ファンの人を飽きさせない方法はたった一つ。
新曲とライブだ。
そしてこのスタイルは結成から何一つ変わってはいない。
 
2019/04/16
あった生き方を
 
40歳のおっさん3人がコンビニの前で座ってカップラーメンを食べながら、それにマヨネーズ入れたりして「これまじでイケんだって」「やべーっておめー!ぜってーやべーよ」「良いから食ってみ」「ざけんなーーーまじ」「くってみって」何て言いながら、女性客が来るたびに大声になりチラチラ見たりしていたら君ならどうする?
そう。
眉間をどつくよね。
うん。それで良いと思う。
けど、これが10代ならどうだろう。
うん絵になるね。
絵にはなるけど眉間をどつくよね。
うん。それで良いと思う。

つまりだ。
世代には世代にあった生き方がある。

たまに僕に生意気な頃の姿を投影してあのままでいてほしいと懇願されるが、それをやると上記のようなことになる。
僕は若かったからこそ「わざと」生意気に立ち振る舞ったのだ。

10代には10代の生き方、20代には20代の30代には30代、40代にはそれ相応の立ち居振る舞いがある。
それは歌もそうだ。
いつまでも夢に向かって突っ走れーーー!なんて言ってる0代ミュージシャンはクロスボンバーを決めて薄っぺらい仮面を外してあげたほうがいい。

40代は30代と大きく変わる。
中年というジャンルに突っ込み、そこで試行錯誤してそれでも夢を探す。
そこを描くべきだと思う。
それができるのは誰だ。
そう、俺だ!

なので俺は年齢をわきまえて、それでも心は譲らず、真っ直ぐに曲がりくねった道をズルしても真面目にも生きていける気をしながら歌っていく。
後半若干チェリー入ったけど。

そんな気持ちで新しい曲たちを今造っている。
 
2019/04/15
サンクチュアリ
 
リハーサルスタジオと機材車はバンドマンの聖地だ。
基本的にメンバーとスタッフしか入れない。
その中でもリハーサルスタジオは本当にメンバーだけの場所。
そこで交わされる言葉、イニシアチブ、それらは普段ファンの人が似ているものとは全く違うパワーバランスで出来上がっている。
ライブリハーサルもそう。
見ていると誰がこのバンドのブレーンなのかがよくわかる。

ただ厄介なのが、ブレーンになってはいけないやつがブレーンになっているバンドもいる。
例えば、ライブ後、他のバンドがいるのにメンバへの説教タイムが始まるバンド。しかも高圧的に。
これが的外れだったりして僕は隣で腹抱えて笑いそうになるのを我慢している。
笑いそうなら外行けばいいのにと思うだろうが、ミニコント見ているようでおもしろいので片耳でいつも聞いている。
そしてこんなバンドはやがて解散する。

我がニュートラルのブレーンは間違いなく私だ。
それはニュートラルになった時からぶれなく圧倒的に私だ。
昔はそれが嫌だった。
なんで俺ばっか、みたいな。
でも今は違う。
ニュートラルで頭を働かせるのはオレの仕事。
俺にできないことをみんなやってくれている。
そう思えるようになった僕は41歳になった。
41歳の春だから、なのだ。
 
2019/04/14
楽屋
楽屋にバンドのステッカーを貼るやつはダサいと20代から気づいていた僕は一度も貼ったことがない
その理由として、売れている人のステッカーや落書きを楽屋出見たことがないからだ。
彼らもそれはダサいと思っていたのだろう。と勝手に思う。
俺を知ってくれ、俺たちはここにいるよ、という深層心理だと思うが、それをステージで表せ!と思う。

落書きといえばライブハウスの楽屋にも無数の落書きがある。
「〇〇さん、超尊敬しています!いつか対バンしたいです!」という怠け者ブッキングや、「上を見ろ、右を見ろ、左を見ろ、ざまぁみろ!」という苛立たしいものまで。

なかでも広島の楽屋に書かれてある「誰もお前のことなんか見てないよ」とい落書きはいつも俺を奮い立たせる。
「お前はな、俺は違う、俺がステージに上がれば俺しか見てねーよ!ばか!」と気合が入るのだ。
それを目的として書いていたのならばすごいよなぁと今頃になって深く考えてしまう。
 
2019/04/13
僕の街に雪が降ったんだ

4月10日東京に雪が降った。
桜が咲いているというのに、最後の悪あがきのように北風を吹かせ姿を見せた。
東京に来てこんなに雪が降らなかった年は初めてかもしれない。
ワンマンライブの前日に大雪が降り、ライブ当日半分以上の人が交通マヒでキャンセルということもあった。
昨年も大雪が降り2週間ほどのその雪が残っていた。
だが今年は。。。

僕は雪が大好きだ。
雪が降ると必ず思い出す思い出や人がいる。

4月10日東京に雪が降った。
そしていつかそんなこともあったとまた思い出すのだろう。
僕らはそうして時を眺めている。
 
2019/04/12
こんばんは!THE NEUTRALです
昼のライブで「こんばんは!THE NEUTRALです」と叫ぶことがある。
正式にはこんにちはである。
だか正式にを言い出すときりがない。
まず俺たちの年でバンドやってるってヤクザだ。
それをずっと見に来てる人もヤクザ。
それをさせる仕事しようと身を焦がしている人もヤクザ。
ヤクザな業界は何時であろうが「おはようございます」だ。
ならライブは「こんばんは!THE NEUTRALです」でいいのだ。
いちいち細かいこと言うな。もてへんぞ。
細かい奴はモテへん。
絶対モテへん。
そんんわけでおれはテンションが上がれば、朝であろうが「こんばんは!THE NEUTRALです」と叫ぶ。
これからも。

 
2019/04/11
石堂くん
 
僕の同級生に石堂大輔くんという男の子がいる。
彼と同じクラスになったのは一度だけ。
特別一緒につるんでいたわけではない。

一度彼が僕の家の下で雨宿りをしているのを見かけてなぜだか傘を貸してあげたことがある。特別仲が良かったわけではないのに、なぜそんなことをしたのか自分でもわからないが、ずいぶんな男前エピソードだ。
ちなみに、これは僕を褒め称える内容なので書く必要がなかったが高感度アップのために書いておいた。

中学一年生の時の話。
僕が石堂くんの名前を知ることになった出来事を。

僕の中学校では生徒会長や書記など生徒会の役員になるためには、来たる日に演説をして全校生徒に票を入れてもらうというなんともアダルトなシステムが導入されていた。
一年生の生徒会役員候補に各クラスで一人選出する。
一年生は全部で7クラス。
その中で一年生で役員につけるのは一人。
300人程の一年生の中から7人を選んでさらに代表を決めるというホリプロスカウトキャラバンみたいな倍率で挑む。(いやホリプロもっとすごいか。)

僕のクラスの代表者はどこにでもあるような内容を話してその出番を終えた。
2度寝も終え、さぁ、早弁でもするかと弁当を開けかけたその時、7組の石堂くんの演説が始まった。
石堂くんは中学1年生にして、民衆の心をつかむ方法を模索し、おそらくその尻尾を掴んだのだろうと今になって思う。
僕の記憶が正しければ石堂くんは演説の最後に「テクマクマヤコン・テクマクマヤコン」と僕らに魔法をかけた。
驚きの奇策。魔法で票を集める。
その魔法は3年間とけることはなく彼は一年生からずっと役員。
最後には生徒会長になり、中学生男子は丸坊主が当たり前だった我が地区で男も髪を伸ばしていいんだぜ!!と訴えて、見事我らに吉田栄作になれる権利を勝ち取ってくれた。あぁーだから今夜だけはーー君を抱いていたいーーー。

そんな彼が一流企業を辞め、姫路に戻ってきて今は市会議員をやっている。
あの頃から何も変わっていない。
僕らに魔法をかけて議員として今の市民の不満を突破しようと働いている。
僕はもう都民なので清らかな一票を入れることは出来ないが、応援している。
姫路にいるみなさんも石堂くんの名前を見かけたら注目してほしい。
魔法をかけられると思う。

追記、ちなみに僕もよくネームバリューを利用して市会議員に立候補してみたらと言われることがある。もしそうなったら今度は僕が魔法をかけるよ。


追記、facebookに掲載した文です。
 
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