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2019/08/21
もう一度だけ会いたい
 
亡くなった人にもう一度だけ会いたい。
大切な人を亡くしたことがある人はきっとそう思ったことがある、いや、今でもそう思っているだろう。
本当に無理なのだろうか、そう考えてしまう。
人間、結局は脳だ。
見るのも聴くのも感じるのも脳だ。
脳さえ生かしていれば、それをデジタル化できればいつの日か亡くなった人と会話ができるのではないかと思う。

しかし、その一瞬は歓喜するが、長く付き合っていくと肉体のあるものと脳だけのものとの差が生まれうまくはいかないだろう。

亡くなった人にはもう会えない。
その刹那が生を怪しく光らせる。
そして亡くなった人にもう一度だけ会いたいと思うのは、その人に対してやり残したこと、伝え残したことがあるからだろう。
生きてるうちに全て伝えて、、、と言いたいが照れていえるもんじゃない。
そこにも人の奥ゆかしさがあり僕なんかは柔らかな気持ちになるのだ。
 
2019/08/20
コンポ来襲
高校生に上がるときに親父にお願いしてSONYのミニコンポを買ってもらった。
当時音楽を聴くとなるとラジカセが当たり前。
けど、どうしてもいい音で聴きたくておねだりをした。
その時の嬉しさは、、、マジで天井と床がひっつきそうだった。
けど僕が効いていた音楽はディランとかだったのでコンポにする意味はあまりなかったのだが。
高校生なので、アホなので、イコライザーの設定をHALLとかにして聴いていた。
リバーブタップリね。
製作者の意図無視ね。

でもめっちゃ音楽が好きな頃で、その音楽を良質の音で聴くと言うのが幸せでたまらなかった。
まさかそのあと死ぬほど良質の音にこだわった日々を過ごすとは、、、。
今我が家はこじんまりとしてコンポが一台だけ置いてあるがほとんど使っていない。

パソコンから流すか、携帯から聴くかだ。
そう思うと音楽のあり方も時代とともに変わってきてんだな。
芯は変えず、それでいて風には柔軟に揺られていたいと思う。
 
2019/08/19
報道のあり方
 
連日、あおり運転の報道が加速する。
あんなやつおるんや、、、と驚くが実際に目の当たりにしたこともある。
彼らへの裁きは僕ではない人がやってくれるからいいとして、一点だけ僕は少しだけ気になっていることがある。

今回の有名な一件、確かに彼らはひどい。
撮影したり、後部座席をあけようとしたり。
かばう余地はない。
ただ最後の瞬間、めっちゃ遅いけど、手遅れやけど、女性が手を出して男性を止めようとする姿が映っている。ように見える。
そのことには誰にも触れていない。
僕の気のせいだろか。

もっかい言うけど、あれはたぶんあの人たちがめっちゃ悪くて、あの段階で止めたとて、やし、その前の行動も悪やけど。
それでももしその映像があるのであればそこまできちんと報道し、今さら感は強いけどね、、、と責められるべきではないのかと思ってしまう。

これは彼らへの擁護でもなんでもなく、報道のあり方の話だ。
彼らは十分、被害者が納得する重さを与えてほしいとは思うが、報道に関していかなる時でもフラットに見なければいけないと僕は思うのだ。
 
2019/08/18
余裕をだな
携帯電話のバッテリーが情けなかった。
すぐにへばる。
ちょっと触っただけでなくなりやがる、それに伴い、動作も遅くなる。
泣きそうだったので、修理した。

最高!
バッテリーええ感じやん。
ん?みると液晶画面から液漏れが。
修理してもらって1時間後。
これは修理が原因やな。
ってことでお伝えすると、申し訳ございません。
すぐに直しますと。

うん。
で、後日予約して持っていくわな。
予約してな。
もちろん。
んなら、「んーーー、液晶漏れですね。でしたらこの価格で」
いや、そちらの修理が原因でと少し真顔で答えると、別のスタッフがミキ様ですね。
お手数おかけし、申し訳ございませんでした。
もちろん無償で修理を、、、ということになった。

この一件で学んだことは共有は大切ということ。
あと、多少のことでムッとしてはいけないということだ。
ムッとはしていないが、その日僕はスケジュールがパンパンで焦っていたから無駄が鬱陶しく思えた。
心の余裕やな。
暑さも余裕を無くさせるが、いかんいかん。
ジェントルマンでいたいもんだ。
 
2019/08/17
ストレッチポール
 
最近になってストレッチポールの使い方がわかった気がする。
もう10数年前にファンの方からいただき、ずっと部屋の片隅で時を刻んでいたあいつがあんなにいいやつだったなんて。
足がだるいなぁって時はふくらはぎにおいてゴロゴロ。
肩凝ったなぁって時は首において左右にゴロゴロ。
筋膜リリース。
骨と筋肉をいい感じで離してあげるみたいなんやけど、これがとても心地よい。

最近は毎晩寝る前にゴロゴロゴロゴロ。
ストレッチポールが欠かせない。
 
2019/08/16
再開しようかな
 
車で事故をしてからトレーニングをまったくやっていない。
Tシャツのサイズもようやく落ち着き、今まで何をやっていたのだという客観性も取り戻した。
とりあえずもうプロテインもBCAAも買っていない。
何事もほどほどがいい。

ただ最近反り腰になってきている。
腰への負担が。
腰痛ではないが腰が凝っている。
いかんですよ。

腹筋だけは続けなきゃな。
あと胸と。
少しだけ背筋と。
せっかくなら腕と。

いかんいかん。
でも、少しくらいなら。

ぼちぼちトレーニングをゆるく再開しようと思う。
どーでもえー話やけど。
 
2019/08/15
俺たちはどこから始まり、どこへ向かってくたばっていくのか
父が亡くなってから、叔母、そして従兄弟の兄ちゃん。
立て続けにみんないなくなっている。
父の一周忌の時、みんな親身に動いてくれた人たちが。
僕は不思議な感覚で葬式に参加していた。

お兄ちゃんの奥さんが悲しみの中、喪主として挨拶をしていた。
「夫は生前、仕事熱心で、俺にはやりたい仕事がある、俺には夢があると語っていました」と話していた。
胸が熱くなった。
あの頃から何も変わっていない。
そうか、そうだよな。
でもさ、死んじまったらあかんやん。
終わってまうやん。

僕は得体の知れない虚無感に襲われた。
僕が今やっていることはなんなんだろう。
自分の考えで自分の思うようにやってきたが、大きな流れの中では小異なのか。
鳥たちの群れを見ながら、なぜ同じ方向に一斉に飛んでいくのか。そう思っていたが、鳥たちも本当は群れている感覚はなく、それぞれが自由に飛んでいるつもりなのかも知れない、そんなことを考えていた。

お盆を過ぎまだ暑さは十分に残る神戸の街を出る時、空を見上げてみた。
よく見慣れた青色がそこにあり、よく見慣れた風景が馴染んでいた。
僕は出来たばかりの新曲たちをイヤホンから流し東京に帰った。
 
2019/08/14
病院へ
8月某日、僕はふらふらになりながら病院に向かっていた。
連日のレコーディング関係で睡眠不足がピークだった。
眠気に強い僕ではあるが、なんどもやばい瞬間があったが、なんとか車を走らせていた。

病院に着くと従兄弟のお兄ちゃんが眠っていた。
今朝関西から車で来たという弟さんが泣いていた。
ICUはなんともいえない緊張感を漂わせていた。
蜘蛛膜下出血で倒れ、そのまま搬送。
持病の関係上、血圧が上がらないと手術はできないらしい。
血圧は81から上がらない。
弟さんがイヤホンでお兄ちゃんの好きな歌を聴かせながら血圧を見ていた。
上がらない。

お兄ちゃんの奥さんが「奇跡を信じる」と言っていた。
僕は助かると信じていた。
きっと血圧が上がると。

お兄ちゃんは一年前から東京オリンオピックのセキュリティーの担当者として東京本社に来ていたらしい。
奥さんが「こんなことなら関西にいればよかった。東京に行くといったとき止めればよかった」とこぼしていた。
僕は「お兄ちゃんの頭脳はもっと多くの人のために使うべきやと思う。だからお兄ちゃんがこっちに来たのは正しかったと思う」と伝えた。

お兄ちゃんはよく「俺は頭がいいから」と口にしていた。
でもそれは自慢でもなんでもなく、ふつうに嫌味なく話していたのが不思議だった。
今になってよくわかる。
俺足が速いから。俺泳ぐのは得意だから。
その類となんら変わらない。
ただ自分の特徴を話しただけだったんだよな。

自分に合わないものを拒絶する世の中で、お兄ちゃんは時折変人扱いで話されれることがよくあったが、お兄ちゃんはお兄ちゃんで話しが合う人がいなくて困ったことがあっただろう。
田舎町で生まれ、もっと勉強できる環境があればもっと違った世界があったかもしれない。

僕の周りにも何人か東大であったりそういった高学歴の奴らがいるが、彼らは決まって独特の世界を持っている。
お兄ちゃんにも確かにそれがあった。
僕のIQも彼らに比べればへでもないのだろう。。。。

面会時間は1時間もいれなかった。
また次の休みに会いに来ようと思っていた。
はやければ5日後にいけるぞ!
そう思っていた矢先、訃報が届いた。
 
2019/08/13
思い出したくない事
 
久しぶりに姪っ子にあった。
小学五年生になったのか。喪服を着ておせらしくしている。
姪っ子は葬式に出るよりも、大学生のいとこのお姉ちゃんと会えるのが楽しみなんだと。
まるであの時の僕とお兄ちゃんをみているようだ。

2回目の京都訪問の際、僕は何も思ったのか、ほんまに何を思ったのか駅で倒れたふりをした。
心配されたっかたのか、冗談たったのか。
お兄ちゃんは預かった甥っ子が倒れたもんで心配で駆け寄ってくれて、そこで僕はばーっと立ち上がるという事をして見せたのだが、急に立ち上がったもんだからお兄ちゃんの顔に当たり、、、、。
実はここで記憶がなくなっている、
なんとなくお兄ちゃんの歯が欠けしまったような記憶もあるが、、、、胸が痛すぎてそこはなくなっている。

前回はパチンコで財布をなくし、今回は死んだふりで迷惑をかける。
問題児。
しばきたい。
可愛げがない。

書いていて「あああああぁぁぁあ!」と一人シャウトをしてしまう。
こんな僕にもお兄ちゃんは優しかった。

あぁ書くんじゃなかった。
罪悪感が胸を潰す。

ちなみに姪っ子が楽しみにしていた従兄弟のお姉ちゃんは当日熱が出てこれなくなってしまった。
それを聞いた姪っ子はこっそりと涙を拭いていた。
僕は痛いほどその気持ちがわかったので、2回ほど頭を撫でた。
僕らは暑い日差しの中、目的を持ったもの、目的をなくしたものたちで神戸へと向かっていた。
葬儀場まであと少し。
それまでに姪っ子の機嫌が直ってくれればと思う。
 
2019/08/12
諦めるな
 
もう良い加減、読み物としてはキツイことを承知しながらもノルマ達、、、、いや、思い出の整理で書いていこう。

大好きな従兄弟のにいちゃんはゲームも詳しかった。
まだスーパーファミコンがなかった時代に、ゲーム会社に就職すると決めていた。
もし俺がゲーム会社に入ったらこんなゲームを作るんや!と鼻息荒く話してくれた。
いつもこういう夢をイキイキと話すお兄ちゃんが大好きだった。

だが、『就職戦線異状なし』という映画があるほど、就職難な時代。
ましてや右肩上がりのゲーム会社への就職は相当なものだったらしく、お兄ちゃんはその夢を果たせなかった。
結果、誰もが知っている有名な電気会社に就職し、それはそれですげぇなぁと思っていたけど、本人は何年経ってもそこに落ちたことが悔しかったらしい。

後日談として、そのときお兄ちゃんが熱く語ってくれた「俺ならこんなゲームを作る!」というものはほとんどが5年10年遅れで発売された。
あの時、お兄ちゃんがゲーム会社に合格していたらひょっとしたら僕たちはもっと違う形のゲームをしていたのかもしれない、そんなことさえ思う。

人の才能の生きるか死ぬかも運だったりする。
諦めるな、そういう言葉は才能ある人にそっとかけてあげる言葉かもしれない。
 
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