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2016/12/31
2016年の最後に

いろんな事が凝縮された2016年があと一日で終わる。
ずっと大変だった大変だったって言ってたけど、終わってみると乗り越えれた、たいした事なかったとさえ思う。
先日24日のライブが最後の締めくくりのように僕の心を解放してくれた。
ソロライブをやって来てよかったなと思ったなぁ。
はじめはクアトロワンマンの為にやり出したソロライブだったのにね。

24日のライブ以来後ろ向きな事を考える事はまったくない。
ただ、親父が亡くなった事だけはそれとは少し違ったところに心があり、、、でも、笑顔で寂しいよと言えるようにはなった。

いろんな心の揺れもあったけど、曲は書いたんだ。
公式発表だけでも42曲の作品を世に送り出していた。
我ながら良くやったと思う。。。
それだけを見ると2016年は悪くはないのかもしれない。

いつか、いつだろう。
1年後。
3年後。
5年後。
10年後。
でもいつかきっと。
いつの日かここが分岐点だったのかと気付くときが来ると思う。
僕が変わるチャンスはここだったのかと。

そう、僕は変わらなきゃいけない。
もっと強く。
もっと優しく。
もっと毅然と。
もっとおおらかに。

あえて言おう。
2016年悪くなかったよ。
絶対に忘れられない一年であり、この先もきっと何度も思い出す一年だったと思うよ。
でもそれは苦しい思いではなく、その時に受けた愛を振り返る一年になりそうだ。
ありがとう2016年。

一人では立ってられない一年だった。
ということはだ、そばに沢山の人がいたって事だ。
ありがとう2016年の僕に愛をくれたみんな。

さぁ、カウントダウンライブにいこうか。
どんなときでもオレがステージに上がれば圧倒的にカッコいいのさ。

 
2016/12/30
ノートパソコン、お前もか
愛用というかこれがないと何も出来ない僕の一部と言っても過言ではないMac book Airが電源が入らなくなった。
こんな事もあろうかと5年保証に入っていた過去の僕はエラい!
が、この年末にこんなことあるかね。
仕事にならない。
困ったもんだ。
いやはや世の中の人で言うところの携帯電話がないくらい落ち着かない。
年末年始で返ってくるのも遅そうだな。
2016はこんなことばっかりだ。

作業部屋にはimacもあるんだけど、なんか日記とか書くにはちょっと上手く言えないけど違ってて、、、。
でも明日、きちんと2016年最後の日記書きますね。

ちなみに今日はリハーサルでした。
バンドってやっぱりいいな。
 
2016/12/25
三木茂2016メリークリスマス
今年もクリスマスイブのソロワンマンライブが無事に終わりました。
はじまりは数年前、「クリスマスイブの日に会場が空いているのですが出てくれませんか?と言われたのが始まり。
継続は力なりですね。
とくに今年は僕にとって大きな大きな1年だっただけにこのライブは心に向かって大切なライブとなりました。

父との死別。
長年の連れ添ったメンバーとの脱退。
病気になった事。

そのすべてをその都度受け入れて、何度も目眩するほどの心の中、立ち上がってきました。
上記の事、これがひとつあるだけでも大変なのに3つもあるなんて。
時に容量いっぱいで水が溢れそうになったっけな。

でも今日気付きました。
僕の心のタンクには余裕ができていました。
それもこれも君のおかげです。
ありがとう。

今日のライブですべて話が出来て良かった。
タイトルらしい三木茂2016だったと思います。
来てくれた方すべてに感謝します。
僕の苦しかった2016年の節目に受けた愛を僕は絶対に忘れません。
絶対に忘れないからね。

メリークリスマス。
 
2016/12/21
初心は新曲の中
いろんな悩み、不安、誤解による苦しい思い。
バンドを続けているとそんな事の繰り返し。
その中でも今年の僕は特にそれがループする。

そのすべてを払拭してくれるものが一つだけある。
それが新曲が出来た時だ。
それも自信作が出来た時には一瞬で心が前と上を向く。

バンドを長く続けていると、なぜやっているのと聞かれたらそこにファンの人がいるからと答える。
それは間違いではなく、本当の心だ。
でも、そのもうひとつだけ手前にあるもの。
それは聴かせたい歌があるからやっている。
なのだと毎回曲が出来た時に思い出す。

初心は新曲の中にいつもある。
さぁ、どんどん書いていこう!
 
2016/12/20
しんきょくーーー
クリスマスイブのソロワンマンライブで新曲書いてCD出したいなぁと思ってやっていて、同時進行でニュートラルの曲もやっていて、結局、どの曲もニュートラルで出来るような曲達で。
良いと思う。
いろんなふり幅の曲があって。
良いと思う。
やれば出来る。おれ。よくやった。
とはいえ、後4行ほど書けていない歌詞があり、、、頑張るぞ。

そんな感じっす。
クリスマスイブとカウントダウン、よろしくです。

 
2016/12/18
もう朝なんだ
何かを書こうと思ってパソコンの前に座って40分ほど過ぎた。
こんなことなら歌詞をやっていたらよかった。
それでも何かを書かなきゃという思いが離れない。

年に何回か、日記を書かなきゃと思う。
そう言う時はなぜか思いとは裏腹に何も浮かばない。
はじまりの言葉さえ見つけられない。

そう言えば、1時頃、代谷とSkypeで話をした。
はじめは明日のリハーサルだった。
でも気がつくと脱線して笑っていた。
そういえば、今回の事があった時にその昔代谷もバンドを辞めようかと考えていた時期があったと聞いた。ちょうどデビューした頃だったらしい。
僕はそんな事を知らなかった。
いや、忘れていたのかもしれない。
いろんな事があったけど、僕らは今日笑いながら話していた。

今日は家にいて歌詞を書いたり、ギター弾いたり、明日の準備したり、クリスマス用の新曲やったり、バンド用の曲を作ったり、天下一品食べたり、小川珈琲飲んだり、代谷と話したり、最後にロキソニン飲んだりしたよ。

3時52分。
もう少しだけ音楽の時間を潜ってきます。

 
2016/12/16
金色の鞄
親父の葬儀の後、その日のうちに部屋の整理をした。
その日のうちにしてしまわないとすべてが捨てれないような気がしたからだ。
ほとんどのものを振り返らずに捨てた。
その中でもどうしても捨てれなかったものがいくつかある。
生前から僕に譲ると言ってくれていたロレックスの時計。
よく被っていた帽子とサングラス。
使っていた灰皿。
還暦の誕生日にあげた純銀のライター。
ギャルソンのネクタイ。
そして金色の鞄。

この金色の鞄。
発見したとき、「親父らしいなぁ。オレの趣味と全然ちゃうわ。。。だせぇから捨てよ!」
とゴミ箱に入れていると母が「懐かしいなぁ。そのかばん」と僕の手を引き止めた。
なんでも東京の僕のライブを初めて見に来る時用に買った鞄らしい。
なぜか二つもある。
東京に行くのを楽しみに、その時の為に買った鞄と聞くと捨てれなかった。
結局僕はそれを東京に持ち帰った。

その数日後、千葉LOOKでライブがあった。
この日だけ、僕は親父のロレックスを腕にはめ、親父のネックレスをして、親父の鞄にタオル等を入れて会場入りした。
この時に、この鞄がスポーツバックタイプというところからか、意外と大きくと着替えやなんやと入れるのはちょうどいい事に気がついて、それ以来愛用している。

が、ふと思い出す時がある。
これをはじめて見た時に僕の感想だ。
「だせぇ」だったよなぁと。

そんなわけで僕はダサい事を知りながら金色の鞄を持ち歩いている。
 
2016/12/15
今愛を知る
親父は僕のやっている事に関心がなかった。
音楽の方はどうだ?と聞かれた事がなかった。
「おかぁがお前の音楽の事色々わしに聞いてくるけど、ワシは知らん言うてる。しげるも大人やし、まぁでもおかぁの気持ちも分かったれ。」とはよく言われいたっけ。

じいちゃんは幼くして両親をなくし天涯孤独の身だった。
ひいじいちゃんがお坊さんだった事から寺に引き取られて育った。
そんな身の上なので、親父の葬式の時、おじいちゃん側の親戚はほとんどいなかった。
が、唯一、袈裟を着たご老人が夫婦で来てくれていて僕を見るなり「しげる君?」と声をかけてくださった。
僕が少し戸惑っているのを見て、奥様の方が「しげるくんでしょ、THE NEUTRALの」と笑ってくださった。
続けて「お父さんがよく自慢してたのよ。しげるくんの話をよくしてたわ」と。
次の瞬間、僕は葬儀の準備の間我慢していた涙がこぼれ落ちた。
こぼれ落ちたという表現はこういう時に使うのだろう。
親父は関心がなかったわけではない。
僕の事を思い、関心のない振りをしてくれていたんだ。
その愛に亡くなってから気づき、己のアホさとそのありがたさに涙が止まらなかった。

思い返せば10代のどうしようもない時、いろんな事情があり、かばんにナイフを潜ませていた。
ある日家に帰ると、ナイフと置き手紙があり「こんなものを持っているとお前の人生を変えてしまうぞ」と書かれてあった。短い文だけど、親父から唯一もらった手紙だった。
あの時も思っていた。
親父はどこで僕がナイフを持っている事を知ったんだ!?
まさか鞄をあさる事もあるまい。
僕を見ていて気付いたんだろう。
親の愛とは偉大なものだ。

そう言えば、亡くなる1年前に親父が話してくれた。
おじいちゃん側、つまり「三木」の家は千葉の船橋にも親戚がいるらしい。
機会があれば一度伺いたいものだ。

ちなみに先ほどの老夫婦は、月に一回ほど横浜のみなとみらいに来る事があるらしい。
親父の親戚らしく、初対面の僕に80近いおじいさんが「番号教えてくれ!近く横浜で飲みに行くぞ!!」と誘われた。
それが今、プライベートでのささやかな楽しみだ。


 
2016/12/14
宝くじの季節です
知人でミニロトで一等を2回当てた人がいる。
どちらの時も当選者が多く配当は少し少なめだったらしいが、それにしてもすごい!
もう10年以上前の話らしいが、そのお金はどうしたの?と聞くと「あっという間になくなった。」らしい。
今思うともったいない、と話していたがあぶく銭の使い方としては正しいのではないだろうか。

そういえばバンドマンで親が一億円を宝くじで当てたというのがいた。
そいつも親が家を買ってそうそうにお金がなくなったと言っていた。

年末ジャンボがやってきた。
今年は7億だって!?
なんちゅう話や。

僕は『ガラクタの日々』を歌っている以上、表立って買うわけにはいかないが。
もし当たったとしても僕は歌い続けるだろう。
だがやけに満たされた歌詞のないようになるだろう。
それはそれで聴いてみたい。
が、すぐにファンじゃなくなるやろな。オレならファンじゃなくなる。笑。
ハングリー精神で今はいこう。
 
2016/12/11
ポップスとロック
今年も流行語大賞があったらしい。
TVではバブルの頃をネタにしている芸人がブレイクしているらしい。
今の流行語もいつかネタにされる。
そう流行とは廃るものなのだ。

ポップスというのはまさに流行の音楽。
今を切り取る。
今一番流行っている音を理解し、流行っているコードを進行を使い、流行っている歌い方をする。
昔は僕はそれを否定していたけど、それはそれで素晴らしいと思う。
ただ流行の結末はやはり廃りに向かっていく。
なによりも流行の音楽をやるというのは演奏する人が若い事が前提になる。
なぜなら今、高校生の中で流行っている言葉をおっさんおばはんが言ってもそれは恐ろしい事になる以外何もないように。

ロックは流行とは違う位置にいる。
不変だ。
どんなに時代が変わろうとも、オレにはこれしか出来ねぇーんだよ。と貫く。
貫くという事は、一時はダサいと言われるかもしれない。
でもそれを貫いた先に、かっこいいが待っている。
ロックバンドが晩年売れていくのもそう言う事だろう。
もちろん変化の中の不変ではあるが。

昔の僕はロックをしているというイメージが強かったように思う。
今は僕とロックが同じ位置に立っている、そう自分では思っている。

 
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