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2016/09/13
カラオケ

カラオケに行こうと思わない。
まったく思わない。
そりゃそうだ。こちとら一年中、ほぼ歌っているのだから。

世の中の人はカラオケが大好きだと最近つくづく思う。
プライベートの友達はやたらとカラオケに行きたがる。
先日「しげるくんもカラオケいこーー!だってカラオケで歌うとストレス発散になるよ!!」と言われた。
いやいや曲創りのプレッシャーとか考えるとストレスの原因でしかないわ。

そんな僕も本格的にバンドをやる前は確かにカラオケが大好きだった。
友達が振られたときなんかはみんなでそいつの気持ちにあった歌を歌っていた。
今思うと単純に歌いたかっただけだけど。

今、カラオケにいくと普通に僕らの歌が入っている。
これって改めてすごい事だと思う。
俺たちがストレスをためながらも創造した作品を君たちが歌ってストレス解消してくれているならば、それこそが僕らのストレス解消となる。

もう僕はあの頃のように純粋に音楽を楽しむというという事は出来なくなったけど、あの頃よりは音楽に対して愛情深くなったと思う。

久しぶりにカラオケでも行ってみようかしら。

 
2016/09/07
緊張と緩和

親父があと一週間かもしれない。
そう聞いて慌てて姫路に戻った。
帰るなり「お前は延命処置についてどう思う?」と聞かれた。
どう思うって。。。
そりゃ長生きはしてもらいたい。どんな形でもとも思う。
でも延命処置をしても良くなる事はない。むしろ苦しむ方もいると聞く、さらに親父が病気になる前「わしがよぼよぼになったら、いっそのことやっちまって!!」と笑いながら話してたのも頭によぎった。
それにしても家族というのはこんな過酷な事を決めないといけないのか。
俺たちが親父の命を握らされている気がした。

その日は一日朝から晩まで看病をしていた。
途中、看護師さんが自然に僕を外に呼び出し尋ねてきた。
「延命処置の件決められましたか??」
ドキンとした。
「あの、、、まだ。。。兄貴と母ともう少しだけ相談させて下させてください。」と答えた。本当は僕の中で決まってはいたのだが。

そんな事を知らない親父の看病に戻る。
ただ足をさすったり、窓を開けたり、電気を付けたり消したり、親父が何か話したそうなら少しだけ話したり。
しばらくすると別の若い看護師さんが入ってきて、親父の血圧などを測りながら、真っ暗な部屋の中で「あのーーー、こんな時になんなのですが、、、」と言ってきた。
おいおい、やめてくれ。
親父も聞いているんだぞ!こんな時に延命処置の話なんて。。。
そもそも親父は自分の命がそこまで短いとは思っていないのに。。。
そこまで考えていた時に次の言葉で心が跳ね上がった。

「あのーーー、こんな時になんなのですが、、、バンドやってますか?」

??????

僕は一瞬何を言われたのか分からなくて止まってしまった。
生きるか死ぬかの話の時に、っていうかラーメン好き?って聞かれるくらい頭が追いつかなかった。
僕が止まっていると。


「あのーーー、ニュートラルの方ですか?」


そっちかーーーーーーい!!!



とめっちゃでかい声が出そうになった。

僕は心から安堵し、「あぁ、そうです!そうです!vocalです」と言わなくてもいい情報まで与え、なんなら頼まれてないのにサインしましょうか?くらいの浮かれ具合になった。
看護師さんからしたら「この人、顔バレした事がこんなに嬉しかったのか」と思っただろうなぁと今になって恥ずかしく思う。

そうじゃないのだ。
延命処置の話じゃなかった事と、親父へのベクトルが急に僕に向けられた驚きだっただけだ。

でも親父の後を継がずにやりたい事をやってきた僕にとって、ほんの少しだけ、本当に少しだけ親父に親孝行をしたような気がした。

 
2016/09/05
怒るという行為

しょちゅう怒っている人っている。
常に何かに愚痴を言って怒っている。
こういう人って共通して「自分の思い通りにいかないこと」に怒っている事が多い。
怒りって瞬間的に沸き上がるもんだけど、その時にすぐに表現するのはナンセンスだと思う。
なるべく冷静に、無理やりにでも己の非も考慮し再考した方がいい、と僕は思う。

僕は歳を重ねるたびに怒らなくなった、と思う。
怒るという行為は愚かな事のように思える。
が、やはり我慢出来ないときもあるのだが、、、やはり20代の時のような感情表現をしているとダメだなぁと己を省みた。
怒るとすべてを台無しにしてしまう事が多い。

よく怒る人って「怒ったエピソード」をたくさん持つ。
どれも自分が正義のように話すのも特徴だ。
怒った話は笑い話になってやっと話す事が出来ると思う。

怒ったで思い出したが。。。

親父が最後の眠りにつくであろうとき、僕は姫路駅に親戚の人を送りにいった。
ちょうど花見シーズンで姫路城と花見の壮美を一目見ようと駅はごった返していた。
「おどれぁ、どないなっとんじゃい!!」そのど迫力の声に目を向けると、見るからにガラの悪いオッサンが駅員に絡んでいた。
こんなに込んでて道が歩きにくいという、言いがかりの頂点のようなクレームをつけていた。
あまりにしつこかったので、救いの手を差し伸べるべく間に入って駅員さんに「大阪まで行きたいのですがこのチケットでいいのでしょうか?」と、本当はどうでもいい質問をしてみた。
僕はこの作戦を良く使い、これによって絡まれていた人のほとんどを救ってきたのだが、このおっさんは「なんじゃぁ、われ!人が話しとるんやろうがぁ!!」と噛み付いてきた。
そうかヤ●ザさんだったのか。
それにしても親父の最後の眠りを迎えようとしていて、早く病院に帰らなきゃいけない時にこんな思いをするなんてと悲しくなったのを覚えている。


改めて、怒るという行為は愚かな事だ。
闘う為に怒るのと、感情で怒るのは種類が違う。

この線引きを分かっている人だけが怒っていいような気がする。

 
2016/09/04
ひいじいちゃん、おじいちゃん
親父の親父、つまりじいちゃんは早くに父(ひいじちゃん)を亡くし、天涯孤独の身だったらしい。ひいじいちゃんがお坊さんだった事もあり、じいちゃんは親戚の寺で育てられる事に。

そんな話、僕は親父が亡くなるまで忘れていた。

親父の葬儀の時、輪袈裟をした老夫婦がおられ挨拶にいくと「三木家の親族は多分私たちしかいないと思うんだけど」と話してくださった。
たしかに親父のばあちゃん方の親戚には会った事あったけど、じいちゃん方の親戚には会った事がなかった。
なんでもこのご夫婦は年間で何度か横浜に来る事があるらしく、僕がラジオをやっているという事を知り、今度横浜で飲もう!と誘われた。
親父とはえらく気があってよく飲んでいたらしいが、親父よりも10も上くらいの人と僕が飲むのか。。。なかなかおもしろそうだけど。

その他にもひいじいちゃんが修行していたお寺が東京タワーのすぐ近くにある事を知り、その数十年後にひい孫が東京タワーのすぐ近くのレコーディングスタジオで歌を歌っているという奇跡にも心が震えた。

時間を見つけて、ひいいじいちゃんが修行したお寺に行ってみたいと思う。
にしてもじいちゃん、天涯孤独って、、、寂しかったやろうなぁ。
 
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