2009/01/20
パブロン畑山
結成記念ライブの時にいつもホームラン代谷が一回抜けたという事をネタにしているが、この抜けた2年間にもやはり忘れられない大切な仲間がいた。
パブロックが好きだという事から「パブロン畑山」というふざけた名前のベーシスト。
彼と駆け抜けた2年間は濃かった。
初のワンマンライブに辿り着くまで、ツアーに廻るまで、とにかく汗と涙と共に流した。
立ち位置的には今の代谷同様いじられキャラ。
ただ地味な男なのだが、その地味さがかえって目立つという変わった男だった。
変わった男は最後も変わっていた。
THE NEUTRALもようやく地元で認知され、初めてのワンマンライブ2DAYSが決まった頃、彼は辞めると言い出した。音楽性の違いだったと思うが、申し訳ないがあまりそこは覚えていない。
ただ、どのバンドマンも憧れる位置にやっと来た時にまさかの脱退宣言。
当時の僕は堪えたなぁ。
屋上で電話しながら泣いたなぁ。
それでもワンマンライブが終わるまでは発表出来なくて、その前にストリートライブなんかも決まっていて、ファンの人に仲良さそうなフリして歌うのが辛くって。
そんな事を知るはずもないのに、当時のファンの方がいつもパワーをくれるニュートラルにお返しをという意味を込めて、ストリートの最後にサプライズで『一生懸命』を歌ってくれた。
「夢を追う事に疲れてやしないかい?夢を追う事を忘れてやしないかい?」その歌詞を聴いた瞬間、溜まっていたものが吹き出して僕は姫路駅のど真ん中で大泣きをした。
自分の歌詞でなくなんて幸せなヤツだが、あんなに客観的に自分の言葉が刺さった事はない。
そしてワンマンライブ2DAYSも終え、パブロン畑山の最後のライブは尼崎のイベントライブ一本となった。
忘れもしない1月15日。
いよいよ、今日のその時である。
その日、僕は高熱が出た。
咳が止まらず、歌うと息が出来ないほど。
病院にいくとインフルエンザ。
僕はライブを飛ばしてしまった。
パブロン畑山の最後のライブはまさかの公演中止。
僕が言うのは違うと思うが、なんとも地味であり派手な終わり方で彼らしいと言えば彼らしかった。
ちなみに僕らがライブを飛ばしたのはこの一回きりであり、熱が出てステージ上がるなんて事は今まで一回もない。
神様というものがいるならば、なんとも正解とも間違いとも言いにくいものを提示してくれるものである。
それからたまに連絡もあったが、もともと無精者の僕はなかなか返信もしないもので、つい一年前、間違いで電話がかかってしまい、少し緊張しながらも「元気か?」と聞くと見ず知らずの人が出た。
番号が変わっていたようだ。
彼は辞めるとき、「僕は音楽のプロデュース業にいく。みなさんはバンドを続けて下さい。そしていつか会いましょう」と言われた。
僕らはその後にデビューした。
彼のその後を僕は知らない。
音楽を続けているかどうかも知らない。
ただ、出来るならば、、、いや、どっちでもいい。
たまに思い出してくれれば、そしてそのとき、いつでも僕らが格好よければ。
彼だけに限らず、今ならもっと上手くやれたかもしれない。
そう思う人はたくさんいる。
若さゆえに傷つけてしまった人も。
もちろん逆も。
昔も今も、生きるって事は何かを得て、その分何かをすり減らしていくようなものかもしれない。
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