THE NEUTRAL オフィシャルホームページ
InformationProfileDiscographyLive歩道橋の上気まぐれ日誌+スタッフ日記 TOP
TicketRequestGoodsMail MagazineHotLinePhoto
2018/06/12
上海旅行記
中国に行って驚いたのは、横断歩道を気を抜いて歩いてたら死ぬということと。
店員が客が来るまでは死ぬほど気を抜いていて、客が来ると騙してでも売ってやるというド根性だ。

中国の方々は客がこないと基本だらけている。
いや、客がいてもだらけている。
超高級アクセサリー店の店員も暇だと肘をついてあくびをしている。
腹が減ると「3番いきまーす」なんてこともなく、客がいようが店頭で飯を食う。
警備員も携帯片手にタバコを吸っている。
タバコはみんな吸っている。いたるところで吸っている。歩いていて火傷したなら歩いている奴が悪いくらいの雰囲気。
歩きタバコ上等。
歩行者用道路で子供を乗せて走る小型の子供用列車の運転手もだるそうに片手運転で歩行者を睨みながら運転している。

僕は15歳まで中国にいたR君に「逆に日本人は笑顔だらけで気持ち悪いっていうけど、そう思った?」と聞くと、R君は「でも、すぐにそれが日本人のサービスなんだなぁとわかった。逆に俺の国のやつらはサービスすらする気がないんだと思ったら腹が立ってきた」と笑わせてくれた。R君は口がお不良だ。
「中国人は民度が低い」と繰り返していた。
確かに僕がガキの頃の日本を見ているようだった。
ただし、中国の方がはるかに進んでいることもある。
まず中国の方がは頭がいい。
そして、今中国ではキャッシュレスが当たり前。
現金を持っているやつは外国人か田舎者、らしい。
すべてこっちでいうLINE的なものについているQRコードで決算をする。
近い将来、日本もこうなるだろうと思う。

中国の街を歩きながら一つのメロディが浮かびすぐに消えた。
もう一度探そうとしたけどやめた。
それでいい気がしたからだ。

またいつか、もう一度行ってみたいとは思わないが、僕の記憶に強烈に残り、なんでも人生で思い出すだろう。


 
2018/06/03
上海旅行

人生初めての海外は上海だった。
きっかけは中学まで上海にいたという友人のR君が東京での就職が決まり、上海と決別するつもりで最後に故郷に挨拶してくると僕に語ってくれ「ねぇねぇ、それついてっていい?それついてっていい??」と、R君の感傷的な気分をぶち壊す観光気分丸出しでAIRも読まず僕がお願いしたことに起因する。

R君とは1年ほど前からのトレーニング友達。日本歴も長く日本語も日本人よりうまく頭もいい。
ちなみに好きな言葉は「実るほど垂れる稲穂かな」。
もはや最強の通訳とガイドを手に入れた僕。鬼に金棒、鍋に大根おろし、上海にR君である。

R君は決別の時間と日数も考え先に中国へ。遅れること数日後、僕も成田から上海へ。
人生初の海外ダイブ。
免税店って税金かかんねぇーの?すげぇー!と改めて「免税」の意味を知るという知識のなさを恥じることなく、ブランド品をさも即買いしそうな雰囲気で歩きウィンドウショッピングを楽しみいざ搭乗。

座席に座ると周りは中国の方だらけ。
彼らはよく喋る。
そして彼らの声はでかい。
圧倒されながらも上海到着。

入国審査(外国人枠)に並ぶ!並ぶ!!並ぶ!!!とにかく並ぶ!!!
うっかりトイレ行ったりしてたら最後の客に。
昼休憩前ではやく終わりたかったのか、入国チェックのおっさんが片言の日本語で「いそげー!」と命令形。こちらも笑顔で「うっせー!黙って仕事しろ!」と早口で言い返す。日本語わからないおっさん不思議そうに俺を見る。俺はちょいちょいこういうことをやる。
俺にタメ口聞かれたことも知らずおっさんハンコ押して無事入国。
おっさん、最後の客である俺が終わるやいなやすぐに仕事放棄して仲間とだべりながら昼食へ。
周りも見渡せば、暇だからか空港内の職員も空いてる席に足をブラーンブラーンさせながらだべってる。
カルチャーショック!
すげぇなぁ。中国。

空港に着くとR君が地元の友達と待っていてくれた。
初めての海外旅行で知ってる人の顔を見る。日本語通じる。安堵感えぐかった。
地元の友達フォン君が車でホテルまで連れて行ってくれた。
みんなで僕の泊まるホテルへ。
R君のお母さんが用意してくれたホテルはとてもすてきな5つ星ホテルだった。
フォン君は「ここは結婚式とかでようやく泊まれるようないいホテルだよ!」となぜか興奮していた。
景色は最高、プールもジムもある。
私興奮したです。

すぐに荷物を預け、フォン君おすすめの中国料理の店へ。

ま、このあともいろいろあったが、こんなの読んでてもおもしろくねぇーよなぁと気づいたのでこの辺で唐突に終わる。

そんなこんなの中国旅行だった。
 
2018/05/18
D1
思わず吹き出してしまいそうなくらいダサい、イモいバンド or アーチスト(←あえてのアーチスト)に出会うときがある。
そういう時は決まって僕はその香ばしい香りを肺の奥まで満喫し、誰かに伝えたくなるが同業者批判と言われそうなのでグッと我慢する。
が、僕はいつも疑問なのだ。
よく客はこれを笑わずに聞けるなぁと。。。

まずダサいでよくあるのが、キャパとあっていない事をあっていない夢を語る。
以前、後輩のライブを見にった時、客は僕一人という地獄絵図だった。
所在なく立ち尽くす、とはこのとき以外に使っちゃいけないのではないかと感じたほどだ。しかたなく僕はドリンク交換の姉さんを口説き落とせるほど長話をし、その空気に耐える事にした。
客がいないもんだから、開始時間もどんどん伸びていく。
そろそろドリンクの姉さんと扶養に入るかどうかの話になりかけた頃、ようやく一人のお客様ご来店。
後輩バンド登場!
がツーンとライブをやるのだが、客一人&俺の会場でエブリバディー!イェー!と叫ぶ。
エブリバディーはお前らの方だと気づいていない。
お前らが相手するのは目の前の(正確には恥ずかしがって左の壁の中辺りにいる薄いカーディガン着た)彼女ただ一人だ。
今日は逆ワンマンライブなのだ。
しかしmcは続く。

まぁ、俺らも夢あってな、その夢をな、追いかけてな、やっていけば道は開けるねん。的な浅い根性論っぽい思いが空調にかき消されつつも流れる。
すでにお前らの夢は潰えた。本日な、確実にな。叫びそうになったがドリンクを飲んで我慢した。

ここで彼らがやるべきことは、「こんな客一人の中やけどさぁ」と今の状況を受け入れたmcか、もうどうにでもなれ!というめっちゃくっちゃなライブをすること。この2つの選択肢しかないとも僕みたいな凡人は思うのだが、彼らは3つ目の選択肢である、普段と同じテンションで同じmcをやるという離れ技をやった。
後半、僕はもう笑いがこらえきれなくなってずっと肩口に顔をうずめ笑っていた。
ダサ過ぎてビビり、ダサ過ぎて感動したのだ。

その後も、彼らはいつ見てもダサかった。
そのたびに僕はいいぞ!と思っていた。

彼らはダサイをねらっていない。真剣にやっていて圧倒的にダサいのだ。
天性だ。
ニーズがあるのかは分からないが、中毒性がある。

そんな彼らも今は脱退を繰り返し、生であのダサさを見れないのがここで紹介できないのが残念だ。

だが安心してほしい、まだまだダサいバンドはライブハウスの数ほどある。
続きは次回に。
 
2018/05/11
5月5日を終えて
全曲ワンマンライブを終えて数日経つ。

今思う反省点は、、、。

僕に体力がありすぎた事だ。
次の日は喉がカレッカレになってると思いきや、ワンマンでも全然いける喉の強さ。
3文芝居のホームラン代谷の方が先に喉がかれてお客さんを心配させるという誤算。
もっとギリギリの展開を予想していたが、有り余る体力に焦り、夜の後半は体力のすべてを使い果たすように体現した。
よって後半は神光臨の熱気を帯びたのだと思う。
あれだけ味わえたなら満足だ。

ただあの日から今日までご飯を食べた後気持ち悪くなると言うなぞの体調不良が続いている。
ひょっとしたらアタイ、妊娠してるかも。
そんな気持ち悪さ。
知らんけど、たぶんそんな感じ。

そしてはやくも6月のワンマンが待っている。
ワンマンが続く。
おもろい事だけを追求してやっていきたい。
 
2018/04/27
浜さきに愛を込めて
姫路の船場に浜さきという中華料理屋がある。僕のおふくろの味はと聞かれれば間違いなく浜さきと答えるだろう。
我が家は共働きだったので、基本的に外食が多かった。それも自立心の強く我らは子供たちだけでの外食。兄貴と2人渡されたお金で食べにいく。いや、割と各々で好きなモノを食べにいくというおっさんのような小学生だった。
小学生にして中華に行けば注文はラーメンではなく、八宝菜とライスだった。もうおっさんだ。
そんなある日、兄貴がうまい焼き飯があると浜さきに連れていってくれた。親の金で。
焼き飯に上手いなんてあるのか?食べた瞬間、小学生の僕の心は打ち抜かれた。それからは頻繁に通うようになった。親の金で。
ある時はその親の金さえ忘れて大将にツケにしてもらったことがある。小学生にしてツケ払いである。もちろん払うのは、say!!そう、parentsだ。

美味しいものを人に教えたくなるのが心理というものだ。
中学生に上がる頃には僕らの周りでは浜さきを知らぬ者はモグリとされた。もちろん全員親の金だ。
塾の夏期講習の休憩一時間にも僕らはサラリーマンに混じって、中学生3人で汗を掻きながらラーメンとチャーハンと餃子をほおばる。
サラリーマンは中学生がこんなとこに昼飯で来るんじゃねーみたいな顔をしているが、こっちも塾で疲れてんだ。栄養がいるんだよとスポーツ新聞読みながら会話もそこそこに食べ終え「お勘定ー」と声変わりしてない声を張り上げ、親の金で支払いを済ませ、親の金で通っている塾に戻る。そんな日々を送っていた。

今でも姫路に帰ると浜さきに行く。
味は昔から一辺たりとも落ちた事がない。
むしろ新しいメニュー「浜からラーメン」など胸を打つメニューも出ている。

姫路の昔好きだった店が最近はよく潰れていく。
味に関係なく時代の流れに飲まれていく。
しかし流行ではない、本物の職人の味は間違いがない。
どうかどうかいつの日か僕に子供が出来て、僕の子供が僕の金で浜さきに行くまでは繁盛してほしい。
ひっそりと続くのではなく、今のように今以上に繁盛していてほしい。

僕の大好きな中華料理屋だ。
 
2018/04/22
姫路無料ライブを終えて

プライベートで姫路に帰る事になった。
せっかくなので姫路で無料ライブをする事にした。
というのも、今僕らは結成20周年year。
感謝の思いを込めて無料ライブを、という企画を東京では開催していたが、関西でもやってあげたいという思いに駆られた。

はじめはどっかスタジオで歌おうと決めていたけど、いろんな経路を経て姫路の「薫家」さんでやることになった。
ちなみにこの「薫家」さん僕らとは少し繋がりがあったようで。

今から19年前。
僕らは初ワンマンライブをすることになり、予てよりやりたかったスタート時に幕がバーンッと落ちる、業界用語で言うところの振り落とし用の幕が必要ということになり、姫路のとある染物屋さんにお願いした。
それが薫家さんのお父さんだったという。
人の縁はどこで繋がるか分からない。
なので旅の恥はかき捨てみたいな生き方をしていると痛い目に合う。

話を戻そう。
急遽ライブをやるといっても告知は一週間前。
どれだけの人が来てくれるのだろうと心配したが、満席になった。
スタジオでやらなくて良かった。。。入りきれていないもの。

結成20年の内、姫路で活動した期間は4年ほど。
しかも今回は関西の方限定だというのに。。。
あんなに来てもらって僕は幸せだ。

心からやって良かったと思えた。
どうしてもその思いを書き残したくてここに。

7月14日に姫路BETAでワンマンライブ+αがあります。
ぜひまた会えるのを楽しみにしています。

本当にありがとう。

そして全国の皆さん、ツイキャスが切れてごめん。
スタッフもいないライブだったので気付かず。。。
 
2018/04/10
宇都宮のリクエストワンマンライブが終わりました

宇都宮のリクエストワンマンライブが終わりました。
リハーサル、本番と過去の自分たちの作品に触れる機会をもらいました。
個人的には当時の事を思い出すというよりも、「そうかこの年齢でこんな作品が残せていたのかぁ」と自分を褒めてあげたくなるものや、「当時の俺は感性が若いなぁ。もっと深く掘り下げただろうに」と及第点をあげるようなものまで、とにかくいろんな想いが駆け巡りました。

20年歌い続けてきて、宇都宮でワンマンが出来て、宇都宮で待ってくれている人がいて、宇都宮で足を運んでくれる人がいて、もうGです!
俺が生まれて初めて覚えたコードがGなんです。
もうGなんです。
誰にも言った事ないけど、おれは嬉しいや胸の高鳴りやきゅんとした時に「Gやん」と心で言うのです。
もうGです。

でも、もっともっと出来た事もあるし、やらなきゃいけないこともあるし。
5月5日は完璧に素晴らしいものを届けたいので。
もっともっと努力します。

追記 今週土曜日に姫路の薫家というところで僕のソロの無料ライブをします。
来られる方は予約フォームからどうぞ。
 
2018/03/29
千葉Lookのライブを終えて

千葉Lookのワンマンライブが終わった。
新しいメンバーが入り、THE NEUTRALが続いていく事になった。
いろんな思いがあり、いろんな事があり、いろんな感じ方があり、でも千葉Lookのライブはやはり輝いていた。
これ以上に何もない。
これ以上に何も望まない。

年代ごとに生き方は変わると最近、つくづく思う。
10代のような生き方を20代でもやっていたら、20代のような事を30代でもやっていたら、30代の夢の残骸を40代で向き合うときは。
一般社会でもそうだろう。

バンドの世界でもそうだ。
新しい世代に入った僕たちは新たな夢と、進むべき道の歩幅歩き方を見つめている。

作詞で食っていく、音楽で食っていく事に執着する。
それも素敵だが、僕は結局おもしろくなかった。
印税が入ろうが、おもしろくない。
そして行き着いた先が、僕はバンドがしたい。だった。

メンバー全員そうだ。
タッピーだってそうだ。
サポートもやったけど、バンドに勝るもんはない、そう思っただろう。

武道館、ホールツアー。
良い夢だ。
しかしそれらの道はバンドの先にある。

僕らは40代という難しい年代を迎えてもバンドをやる事にした。
その記念すべき一日となった。
そういう一日だったと僕は感じている。
 
2018/03/23
プラス思考
プラス思考の人って、すぎると怖いよね、って話。

昨年、僕は何を血迷ったのかジムのトレーナーの資格を取ることにした。
資格を取る為の研修があるのだが、新しい研修が始まる度にまずは自己紹介をするのが定例となっている。
誰も僕をニュートラルのしげるだと知らない。
そんな中で僕は「はじめまして、三木茂です。今ハマっているものは山椒の木を育てることです」と、風貌に似つかない趣味をぶちまけ周囲との距離を適度に保つことに成功したのだが、そんな小生を遥かに超える強者がいたという話を。

次に自己紹介をした男(推定35歳)が「はじめまして、木村(仮名)です。今ハマっているものはサツジンと書いて殺陣です。」と張り切って答えた。
まずみなさん想像してほしい。
こちとら聴覚のみで聞いているのだ。
「今ハマっているものは殺人」と聞こえてもおかしくない。とんだサイコパス野郎が来てしまったと思考が停止する人もいるだろう。
よくよく整理すると、いわゆる時代劇等で剣を使ったりする時の殺陣ということだった。
得意げに元気よく発表する木村くんに講師の先生も「良いですね!ではお昼休憩の後でも見せてもらうかね!」と社交辞令をSAY!
みんなも愛想笑い、この僕もひきつりながらも愛想笑い。
木村くんは心の底から笑顔になり、「えーー、まじですかぁぁ!剣は持ってきてるけど、、、」とやや真に受けていたので私は少し心配しておりましたです。

講義は進み、10分間の休憩が与えられ、我々はトイレに行ったりTwitterに勤しんだりしていた。
が、次の瞬間にオイラ目を疑っちまった。
なんと木村くん、頼まれてもいないのに自らTシャツの上に帯を付け出して、剣を腰に差そうとしているではないか。
木村くん、木村くん、あれは社交辞令よ、真に受けちゃダメ。ダメ。やっちゃだめ。
そう言おうとしたが、私ハプニング大好きなのと木村くんとは仲良くなれそうになかったので、少し観察することに決め込んだ。
すると木村くんは抜刀し、天井と刀との距離を測り出したり、もうプチ演舞がはじまっていた。
怖い怖い怖い。。。。
私震えたとです。

10分休憩が終わろうとして、まだみんなざわついている中、講師の人が前に来ようとしたら木村くんは「えーーーーー!本当にやるんですかぁぁぁ」と一時間半前に取り交わされた社交辞令を、そのときそのまま言われたテンションの鮮度のまま押し売り演舞を始めようとしていた。
講師の方も木村くんの意気込み、木村くんの会場にいる若干名の女子へのアピールを汲んでか、では次の講義の前にやってもらいますね。と温情采配。
木村くんは甘えたさんなのでしょうか、講師の方に「では、振ってもらって良いですか?じゃないと僕がやりたがってるみたいじゃないですかぁ」と腰に帯をつけて剣を差してやる気満々のスタイルのままお願いしていました。
ちなみにこの一連の流れ、会場にいるみんな見ていて、わざわざ講師の方が振る必要もないだろうと思うのだが、作、演出、出演、木村なのでここは観客となるしかない。

講義が始まる前、講師の方が「みなさんも朝の話で気になっていたと思いますが、木村さん何か持ってますねぇ、刀ですかぁ?では殺陣をちょっとやってもらいましょうかぁ」と奇麗に振ってくれ、木村くんが「まじですかぁ」と言いながら、腰帯に刀をぶっさして出てきて演舞を披露した。
辞書で茶番を調べたら例で一番最初に出てきそうな出来事だった。
僕はなぜだか泣きそうになった。

世の中にはこういった方がいる。
女性をご飯に誘う。
明らかに女性は困っており、またの機会に!とお断りしたのに、じゃ、いつにします?と前向きに捉える人。社交辞令を丸ごと受け入れる方。
嫌いではないが、僕とは今世では絶対に合わないと思うのでなるべく関わりを持たないように生きていこうと決めている。
なのにこういう方に限って、僕のようなやつに関心を示し「山椒の木ってどれくらいの大きさですか?」と絡んでくる。
うるせぇバカヤロウ、あっち行け!シッシッ!!と言いたいが、腰に刀があるのでビビって15mほどの木をマンションの寝室から窓に出していますと、木村くんを超えるサイケデリックな答えでしのいだ。

トレーニングの記憶は全く残っていないが、この話はなぜだか僕の好きな話として記憶に残っている。

 
2018/03/19
2018年3月18日の日記
朝、ご飯を炊いた。
白米を食べて準備。
今日は埼玉県でリハーサル。
「おはよー」とメンバーと機材をおろす。

音を重ねる。
ビートの取り方感じ方の相違を確かめる。
音の位置を確かめる。
4時間があっという間に過ぎる。

慌ててさいたまスーパーアリーナへ移動。
スピッツ、Mr.Children、エレファントカシマシの3マン。
感じたことは胸の手前に挟んだ。

そのままツイキャスへ。
今の僕たちのチャレンジを話した。

帰り清正君と2人になった。
これからのことを話した。

長い1日が終わろうとしている。
午前2時23分。

僕がこの日、生きていた。

 
« back
next »
Recent Diary
悔しい思い
たっちゃん誕生日
姫路に帰る
2025年
2024年
11月を抜ける
sammyさんにいく
1番かっこいい袋
DIRK BIKKEMBERGS
姫路懐古「手柄山遊園地」
マッサージャー
言いたいのだ
本屋にいくが
高級オセロ
趣味嗜好
虎と馬
無敵だったよな
もう10月なのか
2024年8月
アルバム完成

Archives
■ 2025/06 (1)
■ 2025/04 (1)
■ 2025/02 (1)
■ 2025/01 (1)
■ 2024/12 (1)
■ 2024/11 (1)
■ 2024/10 (12)
■ 2024/08 (1)
■ 2024/05 (1)
■ 2024/04 (1)
■ 2024/03 (2)
■ 2024/02 (1)
■ 2024/01 (1)
■ 2023/12 (1)
■ 2023/11 (1)
■ 2023/10 (1)
■ 2023/07 (2)
■ 2023/06 (1)
■ 2023/04 (1)
■ 2023/03 (2)
more ..

Recent Photo
アコースティックCD
2017/06/19 :: アコースティックCD
!!$photo1!!
 
ありがとう親父
2016/04/13 :: ありがとう親父
!!$photo1!!
 
千葉LOOKの楽屋にて
2016/03/19 :: 千葉LOOKの楽屋にて
!!$photo1!!
 
ソロワンマンを終えて
2014/12/25 :: ソロワンマンを終えて
!!$photo1!!
 
SONYのMDR-CD900ST
2014/10/27 :: SONYのMDR-CD900ST
!!$photo1!!
 
大阪青春物語「女優魂」
2013/02/14 :: 大阪青春物語「女優魂」
!!$photo1!!
 
大阪青春物語
2013/02/11 :: 大阪青春物語
!!$photo2!!
 
侠気には侠気を!だろ?
2012/07/02 :: 侠気には侠気を!だろ?
 
路上ライブは新宿から渋谷に変更です。
2012/02/17 :: 路上ライブは新宿から渋谷に変更です。
!!$photo1!!
 
Gibsonハミングバード
2011/12/06 :: Gibsonハミングバード
!!$photo1!!!!$photo2!!
 
all photo

pplog2 by Rocomotion
pplog2 by Rocomotion


■ 過去の「歩道橋の上」はこちらから


http://www.the-neutral.com All rights Reserved.