2016/05/01
桜晴れ 〜かぞくのじかん〜
親父が今、おそらく最後になるであろう眠りについた。
延命措置はしない。それが僕ら家族が出した決断だった。
深い眠りにつく薬が一時間に数mm親父の体に導入されていく。
先ほどの苦しみが嘘のように眠っている。
それでいい。眠ってくれ。昨日は寝てなかったんやろ。
気がつけば夕方になっていた。4月とはいえこの時期の17時は暗闇が尋ねてくるのがはやい。
親父を看取ってあげたい気持ちとこの部屋を今すぐ出てきたい気持ちが入り交じっている。
オカンがどこにもいかんといてと一人になる事を嫌がっている。
僕は目閉じてあの日の事を思い出していた。
3年ほど前、親父から電話があった。
「おい、明日おかぁと東京行くぞ。お前時間あるか?オレは交渉さえ終えたらやる事ないから、おかぁが仕事してる間にスカイツリー連れてってくれ。」
親父はいつだって強引であり急に物事を決める。
でも不思議とその日に限って空き時間であったり、その強引さこそが親父らしいと愛らしくさえ思ってしまうのだ。
次の日、僕は当時付き合っていた彼女と親父を恵比寿まで迎えにいった。
「うまくいったぞ。わしが交渉したら掛け率が2%さがった。2%言うても1年で見ると2千万くらい違うかったりするからな。」
彼女はいきなり桁の違う話をされて目がきょとんとしていた。
続けざまに「おい、はよスカイツリー連れてけ!!」と車に乗り込んだ。
東京でも相変わらず親父は親父だった。
墨田区のスカイツリーは噂以上に大きく、車を走らせている途中からその姿を優美に照らし出していた。
「おぉ、ええやないか!!これぞスカイツリーじゃがい!!なぁ、彼女。」
そのテンションと独特の姫路弁に困惑している彼女をよそに親父は楽しそうだった。
着くや否やいつもの感じで「おい!しげる飯行くぞ!!」とはじめて来るスカイツリーを先頭を切って歩き出す。
いやいや、あなたどこにご飯屋さんあるかも知らないでしょうが、、、なんて口が裂けても言えない僕は、親父に先頭を歩かせながら巧みにリードしてずっと前から連れて行きたかった仙台の牛タン屋に入った。
「親父、おれ仙台に行くと必ずここの牛タン食べてていつか親父を連れて行きたい思ってんや。来れて良かった。」
「おう!好きなもん頼め!彼女も遠慮するな。」
好きなもんといっても牛タンオンリーなのだが、、、とは口が縦になっても言えるわけなく、一番のおすすめメニューを僕らは食べた。
どうおいしい?との問いに言葉はなく、小さく一回頷いただけだった。
あれ?口に合わなかったかな、そう思っていたら親父が急に咳き込んだ。
我が家の家風と言うか、オレと親父はよく食べ物が器官に入ってしまいこうなってしまうのだ。そういえば一ヶ月間に姫路で一緒にご飯を食べていた時もこうなっていったけ?心配する彼女に、「俺たちはいつもこうやんねん。なぁ親父。」と言葉をかけた。
食べた後は軽い写真撮影を行い、さぁ登ろうかと言うとき、「よし!満足じゃ!帰るぞ!!」とまさかの帰る宣言。
彼女が慌てて「登らないんですか?」と聞くと「わしは高いとこ苦手やねん!ただ近くで見たかったんや、これでええ。これでええんや。帰るぞ」いやいやオレ達だっているのにとは口が鼻になっても言えるはずもなく僕らは帰る事に。
この日はバンドの車を借りてきた。
車高の高いハイエースの助手席に乗るとき、取っ手を掴みだいぶ勢いをつけて乗り込む親父。少しだけ親父に前ほどの軽快さがなくて僕は驚いた。
200mほど走らせたくらいに急に親父が「わしはもう東京に来るのがこれで最後かもしれん。」と言い出した。
僕と彼女はほぼ同時に「なんでよ、そんな寂しい事言わんといてよ。もっともっと来てよ」「そうですよ、これからたくさん来てもらわないと」と言ったら、「ちょっと最近しんどいんや、今回も新幹線がしんどかった」と言葉を続けた。僕ももう一度だけ「そんな事言わんと、また来てな。」と言うと今度は「おう、そうやな」と笑ってくれた。
バックミラーを見るとスカイツリーが行きに見た感じと同じ佇まいで凛と立っていた。
品川駅でオカンと待ち合わせだったらしく、駅で合流。のはずが、オカンは親父の新幹線のチケットを持ったまま駅の構内に、俺たちは改札。
おそらくいくつもの人達が品川や東京駅で経験したであろう待ち合わせ場所にうまく合流出来ない。チケットを持っていないと行けない場所で相手が待っているという最悪のケースに我が家も当然のように巻き込まれた。
おかんと携帯で連絡を取りながら面倒くさそうにする駅員さんにお願いしまくってなんとか親父とおかんは合流する事が出来たが、新幹線の発車まで5分を切っていた。
「おとうさんはやく!!」というオカンの声をよそに親父は「ほなな、ありがとな」と僕らに言い残し、走る事なくゆっくり歩いておかんのもとへ向かった。オカンがその姿を見て呆れた顔をして僕の方に向かい「またこの人のこういうところ出たよ」というポーズをとっていた。
よく見る我が家の光景だ。
無事に新幹線に乗れましたというメールを確認してから僕らは品川駅を出た。
それから3ヶ月後、オカンから電話があり親父が病気になった事を知らされた。
延命措置はしない。それが僕ら家族が出した決断だった。
深い眠りにつく薬が一時間に数mm親父の体に導入されていく。
先ほどの苦しみが嘘のように眠っている。
それでいい。眠ってくれ。昨日は寝てなかったんやろ。
気がつけば夕方になっていた。4月とはいえこの時期の17時は暗闇が尋ねてくるのがはやい。
親父を看取ってあげたい気持ちとこの部屋を今すぐ出てきたい気持ちが入り交じっている。
オカンがどこにもいかんといてと一人になる事を嫌がっている。
僕は目閉じてあの日の事を思い出していた。
3年ほど前、親父から電話があった。
「おい、明日おかぁと東京行くぞ。お前時間あるか?オレは交渉さえ終えたらやる事ないから、おかぁが仕事してる間にスカイツリー連れてってくれ。」
親父はいつだって強引であり急に物事を決める。
でも不思議とその日に限って空き時間であったり、その強引さこそが親父らしいと愛らしくさえ思ってしまうのだ。
次の日、僕は当時付き合っていた彼女と親父を恵比寿まで迎えにいった。
「うまくいったぞ。わしが交渉したら掛け率が2%さがった。2%言うても1年で見ると2千万くらい違うかったりするからな。」
彼女はいきなり桁の違う話をされて目がきょとんとしていた。
続けざまに「おい、はよスカイツリー連れてけ!!」と車に乗り込んだ。
東京でも相変わらず親父は親父だった。
墨田区のスカイツリーは噂以上に大きく、車を走らせている途中からその姿を優美に照らし出していた。
「おぉ、ええやないか!!これぞスカイツリーじゃがい!!なぁ、彼女。」
そのテンションと独特の姫路弁に困惑している彼女をよそに親父は楽しそうだった。
着くや否やいつもの感じで「おい!しげる飯行くぞ!!」とはじめて来るスカイツリーを先頭を切って歩き出す。
いやいや、あなたどこにご飯屋さんあるかも知らないでしょうが、、、なんて口が裂けても言えない僕は、親父に先頭を歩かせながら巧みにリードしてずっと前から連れて行きたかった仙台の牛タン屋に入った。
「親父、おれ仙台に行くと必ずここの牛タン食べてていつか親父を連れて行きたい思ってんや。来れて良かった。」
「おう!好きなもん頼め!彼女も遠慮するな。」
好きなもんといっても牛タンオンリーなのだが、、、とは口が縦になっても言えるわけなく、一番のおすすめメニューを僕らは食べた。
どうおいしい?との問いに言葉はなく、小さく一回頷いただけだった。
あれ?口に合わなかったかな、そう思っていたら親父が急に咳き込んだ。
我が家の家風と言うか、オレと親父はよく食べ物が器官に入ってしまいこうなってしまうのだ。そういえば一ヶ月間に姫路で一緒にご飯を食べていた時もこうなっていったけ?心配する彼女に、「俺たちはいつもこうやんねん。なぁ親父。」と言葉をかけた。
食べた後は軽い写真撮影を行い、さぁ登ろうかと言うとき、「よし!満足じゃ!帰るぞ!!」とまさかの帰る宣言。
彼女が慌てて「登らないんですか?」と聞くと「わしは高いとこ苦手やねん!ただ近くで見たかったんや、これでええ。これでええんや。帰るぞ」いやいやオレ達だっているのにとは口が鼻になっても言えるはずもなく僕らは帰る事に。
この日はバンドの車を借りてきた。
車高の高いハイエースの助手席に乗るとき、取っ手を掴みだいぶ勢いをつけて乗り込む親父。少しだけ親父に前ほどの軽快さがなくて僕は驚いた。
200mほど走らせたくらいに急に親父が「わしはもう東京に来るのがこれで最後かもしれん。」と言い出した。
僕と彼女はほぼ同時に「なんでよ、そんな寂しい事言わんといてよ。もっともっと来てよ」「そうですよ、これからたくさん来てもらわないと」と言ったら、「ちょっと最近しんどいんや、今回も新幹線がしんどかった」と言葉を続けた。僕ももう一度だけ「そんな事言わんと、また来てな。」と言うと今度は「おう、そうやな」と笑ってくれた。
バックミラーを見るとスカイツリーが行きに見た感じと同じ佇まいで凛と立っていた。
品川駅でオカンと待ち合わせだったらしく、駅で合流。のはずが、オカンは親父の新幹線のチケットを持ったまま駅の構内に、俺たちは改札。
おそらくいくつもの人達が品川や東京駅で経験したであろう待ち合わせ場所にうまく合流出来ない。チケットを持っていないと行けない場所で相手が待っているという最悪のケースに我が家も当然のように巻き込まれた。
おかんと携帯で連絡を取りながら面倒くさそうにする駅員さんにお願いしまくってなんとか親父とおかんは合流する事が出来たが、新幹線の発車まで5分を切っていた。
「おとうさんはやく!!」というオカンの声をよそに親父は「ほなな、ありがとな」と僕らに言い残し、走る事なくゆっくり歩いておかんのもとへ向かった。オカンがその姿を見て呆れた顔をして僕の方に向かい「またこの人のこういうところ出たよ」というポーズをとっていた。
よく見る我が家の光景だ。
無事に新幹線に乗れましたというメールを確認してから僕らは品川駅を出た。
それから3ヶ月後、オカンから電話があり親父が病気になった事を知らされた。
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